スピーカーの中の背番号16 川上哲治

これは、私の友人であった 故 夷舞氏が、サイコロ野球ゲーム「野球伝説」シリーズの第1冊目のために書き起こしたものを再掲したです。

当時の少年の息吹がかんじられます。

スピーカーの中の背番号16 川上哲治     夷舞 道莵

 20世紀ど真ん中、1940年代後半から1950年代前半の日本の小学生にとって、スポーツとは、野球、相撲、水泳、陸上のことだった。
そして、軍人の英雄がいないことになっていたその時代のヒーローは、古橋、橋爪、照国、吉葉山、川上、別所でラジオから聞こえる彼らの活躍は、男の子たちにとって町内と学校の外の世界のほとんど全部だった。
そのころ、女の子たちにとっては世界はもっと広く、映画や歌や子役モデル達の噂話に兄や弟を付き合わせようとしてがっかりするのが常だった。

 大相撲は、一年に2,3場所で横綱たちは別世界の生き物としか思えなかった。千代の山はまだ人間が手の届きそうに見えたが、その筋肉と骨は自分たちの見たどんな大人も持っていないものだと一目で判った。古橋はまさにラジオの中だけの名前であり、ザトペックの同類としか思わなかった。
 しかし、野球は違った。どこのお父さんでも子供とキャッチボールをするのが当たり前で、公園や焼け跡で球技を禁止するという発想が無かった頃、大人たちが自分たちの言葉で、戦前、戦中の名選手、好試合を語り、戦争さえ無ければと言い続けていたとき、子供たちは、自分達の名選手を見つけ出していた。
それが、背番号16の川上だった。大人達の語る名選手の誰よりも打率が高く、大学出でない田舎者、打球が速くて弾丸ライナーの川上と言われ、打ちそこなったフライも一所懸命一塁に駆け込んで、テキサスヒットにするので、アナウンサー達からは、テキサスの哲とからかわれる。そんな川上が男の子達は大好きだった。

打撃フォームや顔付きは2,3シーズン前のメンコで覚えているので、今思うとリアルタイムよりも若いイメージだったのだろう。
守備が下手だって?僕だって守備なんか嫌いだ。足が遅い?盗塁だってチームで2,3番目に多いじゃないか。ホームラン王が取れない?二塁打、三塁打で十分だ。ホームランはボールが無くなったり、叱られるから大変なんだ。大下、藤村みたいに女優さんや歌手から騒がれないのもいい。
あまり子供に人気があるので、入団の時は吉原幸喜のおまけだったとからかう大人もいたが、吉原なんて知らない子達には、始めの評価が低かったことさえも、頑張れば、自分達でも手が届く頂点として好きになる理由の一つでしかなかった。右肩上がりで、上昇志向が当たり前の時代、努力すればトップになれるという実例として、子供達が自分で見つけた英雄「川上哲治 背番号16」は、その後の現代日本の出現のキーの一つとなったことは間違いないだろう。

それゆえ、その当時の男の子の一人として、私にとっての川上哲治はV9の名将ではなくて背番号16の4番バッターであり続けている。

初掲載 野球伝説-001「いま時代がはじまる」

牧啓夫(狩野美知夫) 野球文化學會 理事
           ゲームデザイナー

ツイッター @maki_coi

八川社のブログ

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参考)野球雲チャネル 川上哲治
https://m.youtube.com/watch?v=0ytKisyFlr0

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