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M子の物語<旅>その2

ファシ講の最後の課題は、外部からWSの依頼を受けた場合の
実践練習—ケーススタディだ。それも一人ではなく、
仲間と一緒に創り上げる練習。

M子のパートナーは二周り以上も年上のカエルだった。
「能ある鷹は爪を隠す」とは、カエルのことだとM子は思った。
経験も実力も遥か上のカエルの懐の中で、伸び伸びとやりたいことに挑戦できる喜びを感じていた。

用意したプログラムを講師や参加者に実践発表した当日、
M子が用意したアプライド・ドラマのワークで、
M子の指示が不明確だった為、ペアで演じて欲しかったシーンで、
片方がもう一方を無視して独りで演じる形になってしまった。

後から振り返りの時間で、M子が「実際にやる場合はデモをした方がいいかも」と発言すると、講師のユーリーが「デモをしなかったから生まれたものがある」と言った。

M子は、プレイバックシアター研究所の発行するラボ新聞の八螺子の記事を思い出していた。
ワークショップは「モノやサービスの提供ビジネス」ではなく、「共同作業ビジネス」という内容だった。

ワークショップは共同作業なのだから、曖昧さの中から新たな可能性が生まれることもある。そんな余白の中に、アートならではの面白みもあると、ユーリーの姿勢に気付かされる。

・    ・ ・

自分の主催する二回目のWSを一週間前に控えても、
申込者は二名だった。だが、その内の一名が、
「絶対3回とも参加したいので、予定を調整しました!」
という言葉を見て、M子の中で
「6名集まらなければ催行しない」という気持ちが、
「絶対に人を集めて催行する!」に変わっていた。
 
講師の二人にも、この講座の卒業生に宣伝をお願いすると、
快く協力に応じてくれ、
「Mちゃん、申し込みがあるかないかにかかわらず、
自分が信じたやりたい世界を作り続けてください。
 アーティスト、芸術家とは世間の評価や評判など眼中になく、
自分の作品(WS)をつくり続け、それを信じて愛する人です。」
と、八螺子がメッセージを送ってくれた。

卒業生で予定の合う方はいなかったが、
「チャレンジされていることに勇気をもらった」
「大いにヒントをもらった」
「すごく興味があります。また、是非、紹介してほしい」といった
先輩方のリアクションにも彼女は励まされた。

宇ノ智も、友人に声をかけてくれた。
参加はされなかったが、大切なご友人に声を掛けてくれるというのは、
M子への信頼とエールだと感じ、彼女は心から有難いと思った。

友人、知人の紹介もあり、なんとか参加者6名を確保してWS当日を迎えた。

彼女は最初のオリエンテーションで「安心安全の場が大切というけれど、それは私ひとりでは作れない。参加者皆さんの協力が必要」と、伝えた。
参加者の中には、少し驚いた表情を見せた人もいた。

プロとして、安心安全を保障しないのかという驚きだろうか?
もし、ハ螺子の言葉を聴いていなければ、彼女はプロとして安心安全な場を創り出そうとしていただろう。それができると思うなんて思い上がりもいいところだ。もちろん責任を放棄する訳ではないが、自分ができることとできないことを理解しておくことの大切さは、ファシ講で学んだことの一つだっだ。

即興ドラマに入る前のウォームアップとして、日常の中の葛藤をペアーズ(動く彫刻のようなかんじ)で表すワークを行った。演じる練習なので、全員がアクターを1回体験できればいいくらいに思っていて、2人位だけやろうとしたが、結局全員やったのは、1人目、2人目が「これ、とっても面白い!みんなも体験した方がいい!」と勧めたからだった。
 
<計画していることとVSその場で生成されていること>のどちらを優先させるかは、正解はなく、毎回悩むことだろうと思う。ファシリテーター一人で悩まないで、参加者の意見も聴いたら良いとは思うが、何がそのグループにとってベストかの見極めは、直感を頼りにするしかないのだろうか。経験のまだ浅いM子にとっては難しいことだと感じた。少なくとも、この日は最終的に時間が少しオーバーしたが、全員体験できたことはグループにとって良かったようだ。

『英雄の旅』準備編はトラブルもなく、無事終了した。M子にとって意外だったのは、アンケートに「Mちゃんの演技を見たかった」と複数名の方が書いていたことだ。参加者は、威圧的なファシリテーターは求めていないけれど、完全に黒子のファシリテーターでも物足りない。そこにファシリテーターとしての役割を被っていない、生のその人の人間味にも触れたいという欲求があるのかもしれない。確かにM子自身にも、参加者として身に覚えがある。そのバランスが今後のWS実施時の課題となりそうだ。

WS参加者として演じる時に感じる自由や解放感を、ファシリテーターの時には、M子は感じなかった。むしろ少し不自由さがあるのかもしれない。
彼女の中で「共同作業ビジネス」ではなく、「サービス提供ビジネス」のマインドになっているのかもしれない。参加者は共同創造者(対等なパートナー)ではなく、お客様でご満足いただけなければいけない相手となっているようだ。
 
前回同様、終わった後、ある種の虚しさを感じた。
八螺子は、「継続すること」がやりがいだと語っていた。
ユーリーは「その人のナマの、本来の声を聴くこと」というようなことを確か言っていたはずだ。

WS中が無我夢中であるからこそ、終わった後のこの空っぽのかんじは、
なんだろう?
言語化できない、何かを、きっと潜在意識は感じ取っている。
答えが見つかるのは、まだまだ先かもしれない。

つづく…
 

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