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【大暑】 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)

蝉というのはおもしろい生きものだ。地面にいるのをよく見かける。生きているのか死んでいるのか、パッとみただけではよくわからない。突然とびかかってくるやもしれないので、その生命力に恐れ慄きつつその場を通り過ぎねばならない。ああ、そのえもいわれぬ存在感よ。

雨の降らない時期に幾日か家をあけたので、ホーリーバジルの種をうまく発芽させることができなかった。実家に預けたそれは無事に元気に育っていると、写真を送ってもらって知る。

浄化作用の高いと言われるその植物の朝摘みを体験したことがある。それは私たちを思考を遥かに超えた世界へと誘う深い香りを放つ。夜明け前、濡れた空気がひんやりとあたりを包む時間、頭に登山用のライトをつけて私たちは開く前の蕾を摘んだ。時折大きなバッタが突然勢いよくジャンプして、私たちを驚かせる。あたりには住宅街があるので「キャッ」という声を出さないよう気をつけるのにヒヤヒヤした。

あのホーリーバジルの紫の花が、ふるさとの家の玄関にそっと咲く風景を思い浮かべる。

まるで世界に誰もいないような静けさ。それなのによく耳を澄ますと、どこかに誰か人の存在を感じさせる音を必ず見つけることができるのは、空気が透明で遮るものが少ない時間ならではのことだろう。新聞配達のバイクが遠くを走る音がする。それから、川の流れや何かの虫が飛び立つような風の音も。玄関を開けたり、サンダルをはいたり。そんな一つひとつの音がとても目立つので、いやおうなしに「私がここにいる」ことが感じとれる不思議。この感覚は安心なのか。それとも騒めきなのだろうか。

太陽がその姿を消し、存在感だけを闇に残した時刻。そんな時にしか、出逢うことのできない存在がある。

そこには、冷えた肌と、それをあたためる手のひらの温もりの記憶がある。驚くほどに敏感な熱。静かに。