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前田利家生誕の地、荒子へ

加賀藩の祖として知られる前田利家は、残念ながら金沢出身ではありません。
荒子城主の四男として生まれています。ということは、現在の名古屋出身です。

信長のもと活躍した利家

利家は、秀吉とともに信長の家臣でした。信長の赤母衣(ほろ)衆として、活躍しています。

母衣とは、防御のための武具です。布を膨らませて甲冑の背につけることで、弓矢や石を防ぐことができます。
尾山神社にある前田利家公像も、背中につけています。

母衣をつけた前田利家公

母衣衆は、騎馬の武士から選抜されたエリートです。信長のもとには、黒母衣衆、赤母衣衆が編成されていました。
利家は9人いる赤母衣衆を率いています。

北陸方面の部隊として活躍し、最終的には能登国、加賀国、越中国を与えられ、加賀藩の基礎を築きました。

尾張といっても、利家の誕生地はどんなところ?と気になってきました。

尾張荒子へ

現在の名古屋市中川区にある冨士権現天満宮あたりの荒子城が、誕生地と言われています。
あおなみ線荒子駅から、向かいましょう。

駅のすぐそばには、面白そうな建物、中川図書館が。でも寄り道は我慢です。

中川図書館

※後日、中に前田利家コーナーがあると判明し、後悔することとなります。

少し行くと荒子公園があり、通り抜けます。

反対の出入口に梅園があって、石碑に前田利家荒子梅園とあるではないですか。さすが出身地です。

さらに進んでいくと、「前田利家誕生の地」ののぼり旗があります。

ここ?と一瞬期待しますが、神明社でした。

この隣には、立派な塔が見えていたので、中へ。

荒子観音寺

このお寺も前田利家ゆかりのお寺です。
草創は、奈良時代に遡ります。観音寺は、荒子城内にある天満宮も担当していたので、前田家と深い関係がありました。

さらに、本堂は天正4年(1576年)に前田利家が再建したものです。

荒子観音寺は天台宗のお寺なので、信長による比叡山焼き討ち(元亀2年(1571年))のあおりで焼失したところを、利家が寄進しました。

本堂

本堂の隣にある多宝塔は、天文5年(1536年)に再建されたものです。

多宝塔

名古屋市内最古の木造建築です。戦国時代の建物ですが、室町時代末期の禅宗様式の特徴をよく表しています。
たおやかな曲線や桟唐戸(周りに枠があり、中に板をはめた戸)などです。 

金沢には古い多宝塔はなく、つい見惚れてしまいました。
このお寺、山門の仁王像は円空作品、さらに円空仏があり、毎月第2土曜日に公開されています。

この日がたまたま月一の公開日!とは行かず、円空仏に後ろ髪引かれながら、目的の利家誕生の地へ。
ここから歩いて5分です。

荒子城跡、冨士大権現天満天神社

前田家によると、そのルーツは菅原道真につながるということで、前田家は他にも天満宮を祀っています。

江戸時代に藩校の鎮守としてつくられた天満宮、現在の金沢神社。

金沢5社のひとつ、椿原天満宮。
創建は、江戸時代より遡りますが、江戸時代に現在の地へ移り、前田家の庇護を受けています。

さらに、第二代加賀藩主利常の隠居所としてつくられた小松城の鬼門の方角にも、小松天満宮。

こちらの天満宮は?とまずお参りです。

奥へ行き、本殿を見ると豪華な彫刻です。極彩色ではないけれど、権現(家康)も祀ってあるからか東照宮を思い起こさせます。

そして、参道の脇にはありました!
前田利家誕生地の石碑です。

利家誕生の地、今では神社があり、隣は公園、そして周りが住宅街でお城の面影はまったくありません。

でも、当時は広大な平原の中、あたり一面見渡せるお城があったのであろうと思いを馳せます。 

誕生地からそろそろ金沢へ帰ろうとふと見ると、前田利家にちなんだ散歩ルートのパンフレットを発見してしまいました。

そこには、前田速念寺(前田城址)と記載が。
ここまで来たら、行ってみましょう。

行く道すがら、きれいな町家が沢山ありました。一階の屋根の上に、市松模様の帯のようなものをよく見かけました。

金澤町家もいいけれど、たまには違うタイプの町家もいいなぁと思いながら、荒子川を渡ります。

疲れて来た頃に、前田と入る地名が出てきます。

大きな川、庄内川が見えてきて向こう岸にそれらしき建物が。

渡って右へ曲がると、到着です。

前田家発祥の地、前田城趾

前田城址に到着しました。
前田城は、前田利家含む前田の本家格の前田氏発祥の地です。

その跡地に、今は前田速念寺が建っています。お寺には、前田家代々の墳墓があります。

まずお寺にお参りに行きます。
門をくぐってびっくりです。

モダンで斬新なお寺の建物です。
お寺の方に、何がモチーフか分かるでしょう?と聞かれ、??となりました。
答えは、前田利家の兜です。

兜のモニュメント (尾山神社内)

教えてもらうと、納得でなぜ分からなかったのかと思うくらいです。
この兜、その名も鯰尾兜。鯰の尾のような形だからです。

加賀藩祖前田利家の生誕の地とその祖先の地を巡り、利家が少し身近に感じられるようになりました。
かぶきもので、若い時には派手な服を着ていたと言われる利家。その精神は、前田家のもので、祖先を祀る残心なお寺の建築にも表れているのかもと1人納得して金沢へ戻ります。


参考
「前田利家百万石への道 犬千代ルート」
荒子観音寺パンフレット
前田速念寺パンフレット

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