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チョコミントアイスの方へ

朝起きてnoteを開いたら、「”チョコミントアイス”が安定剤」(これはワタシの表現です)の方が、怒りの記事を投稿していた。

直接コメントするのはおこがましいから、手紙にしてみようと思いました。いや「つぶやき日記」かもしれませんし、何なら同じく怒りモヤモヤ中の自分に対して書いてんのかもしれません。

ワタシはチョコミントアイスさんのことは存じ上げません。たまたま、「”ローストビーフをこよなく愛するオダギリジョー」な方のnoteを見つけて、その流れでチョコミントアイスさんのnoteの存在を知りました。

ワタシは介護のことはど素人です。行政に関わる人間でもありません。今年に入ってほんの少し、祖父母の介護をすることになって、それがワタシと高齢者介護との出会いです。

ただ、何かに対して怒るとか、切れるとか、モヤモヤする、とか、そういう経験はワタシにも当然あって、それは前職の学習塾でのことであったり、子どものころから、いわゆる”ヤングケアラー”だったので、家族との間で起きる日常であったり、するわけです。

だから、「怒り」についてはなんかわかる気がしました。

犯人がいる。

昔、こんな話を読みました。確か、外山滋比古先生の本だったと思います。違っているかもしれないけど。

日常の中で、”事件”とも呼べる色んな出来事があって、”事件”というわけだから嬉しいことでも楽しいことでもなく、イライラとかモヤモヤとか、怒りとか、大体負の感情を伴う出来事、だと思ってください。

その”事件”には、ある共通の犯人がいるそうです。それぞれの”事件”は単独で起きていて関連性はないことがほとんどです。もちろん、”連続事件”だったりもします。

共通の犯人がいる、どの事件にもいる。その人が「主犯」ではないとしてもです。自分の感情を被害者にする、と言う意味での犯人、なんでしょうかね。

ワタシはこの話を読んで、最初は「はあ?」と思いました。ぶっちゃけそう思いました。何なら、他の”真犯人”を探そうとさえしました。

だけど冷静に考えて、犯人が誰か納得しました。

納得したからって、その問題そのものは解決しなくても、少なくとも”事件”の規模は小さくなりました。小さな”事件”が起きる度に、

「あー、またやっちまった。」

と思って、その小さな感情の事件を鎮火して、その問題をどう解決していこうか、そっちにエネルギーを向けてきました。

とは言っても、昨日?一昨日か、もー、「またやっちまったぜ」では済まないくらいの怒り、気味の悪いモヤモヤ、ブツケどころのないイライラ、全部引っさげた事件が起きましたけど。。

灯りを消せ。

これも何かで読んだ話です。河合隼雄さんだった気がします。

プロの漁師たちが漁に出て、大海原で帰路を見失いパニックになる話です。真っ暗になってパニックになる中、一人が

「灯りを消せ!」

と言いました。さらに真っ暗。お先真っ暗。かと思いきや。真っ暗な中で、ぼんやりしたものが見えてきました。

灯台です。丘の灯台です。漁師たちは帰路を得て、無事帰還したそうです。

灯りを消すのにはさぞかし勇気がいると思います。事態は悪くなる一方だと思ってしまいます。でも時に、明かりを消してみることも必要なんですね。見えていなかった灯りに、気づけるきっかけになります。

「無」

これは、先の権威ある先生方の言葉ではないですが。。

頭混乱してイライラ、モヤモヤ、色んな感情がひしめき合っているとき、私は頭の中で、「無」という字を筆で書きます。もちろん、イメージです。そんでもって、書きながら、「むーむーむー。むー」と言い続けます。そうすると不思議なんですが、本当に「無」になります。

最後に

チョコミントアイス、食べてくださいね。投稿された時刻、びっくりしました。チョコミントアイス、食べてくださいね。

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