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46

トークイベントで、オリツさんも言っていた。
年齢には、こだわらないし、要は個体差だと。
そして人生で「今」の自分が一番好きだとも。

私も、そう感じてるから、年齢も軽く口走る。
10月6日、通称?トムの日に、46才になりました。

46年前のその日に、長崎の原爆病院で
母が生んでくれました。

祖母は、当時、小学校の給食の調理員をしていて
病院へ向かうバスでの移動中、最後部席に座っていて
急ブレーキにより、前方の通路へ転げ落ちたそうです。
首を痛めたと聞いています。
彼女にとって初孫となる私が、生まれた日は
そんな日で、長崎くんちが始まる前日でした。

やっとです。
「誕生日」を心から喜べるようになったのも。
気付いたんです。
誕生日へのコンプレックスの理由に。

誕生日って、年に1度、前回の誕生日から
365日を重ねて迎える日。
おそらく、その日々を、無駄に?というか
自分の道として歩めている自覚と自信が
無かったんだと思います。
誇れない自分が、また1年という月日を過ごしてしまった
成し遂げられていないことへの後ろめたさ。
それが陰として、あったんだと。
自分でも、わからないまま、心の奥底にしまいこんでいた。

今年に至っては「シアワセ」について
考え続けている私は、大好きな二人を巻き込んで
誕生日、誕生月を自らデザインするという前代未聞のチャレンジまで。
この2~3年の月日が、私をここまで連れてきてくれました。

この1年、出会った人や会えた人たちと撮ってもらった写真を
ぎゅっと一覧にしてみたんです。
それらを振り返っていると、知らず知らずのうちに
口角が上がって、ニヤニヤしている自分に気付きます。
みんなの人生の一瞬に、登場させてもらえたことが嬉しいし
それがほんとに奇跡的なことだということを知ってるから。

この1年は、とくに「会いに行く」「会う」「合う」が
自分の中のテーマにもなっていた気がします。
行ってみたいところには、会いたい人が居る。
お店にしても、イベントにしても、それが基準になっていた。
それを体感していくと、今度は
製作室へ来て下さる方、私に会いに来て下さる方も
同じ気持ちなのかもと、その思いの重なりが嬉しくて。
それぞれの人生の月日のとある瞬間に居合わせることが有難くて。

実際に会うこと。
タイミングが合うこと、合わせること。
気持ちや、思いが重なり、合わさること。

そんな皆さんの1歩が、私にとっては「愛」に変換されて
私を満たし、作り上げてもらってるんだと。
そして、私というフィルターを通して、また誰かに届けに行く。
それこそ循環と共生なんだなって。

出逢ってくれた皆さん、ありがとう。
沢山の愛を、ありがとうございます。
とても清々しい気持ちで
46歳の始まりを迎えられたことに感謝しています。

まだまだこれから面白くなりそう。
自分の満たし方を知って、自覚した今だからこそ
自分のこの先の人生をより楽しめるはず。

未来予想図を遥に越えていく
シアワセなことが、たくさん待ってる。
目に見えるもの、見えないもの。
それらを全身で、感じていきたい。
大好きで、大切な人たちと共有したい。
そう思っています。

まだまだ、ふわふわして途上なところもある
幼少期に戻っていくような気配すらあるmakijakuを
これからも、どうぞ、よろしくお願いします!

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