北浦和のリズムボックス
ヒカシューが、テクノポップの仲間に入れていただけたのは、簡単にいうと、クラフトワークの曲を演奏していたことと、リズムボックスを使用していたことによると思う。1978年の夏、「幼虫の危機」というパフォーマンスのために、山下康を音楽監督にして、劇中歌を数曲作った。その時、ドラムがいないこともあって、エレクトーンの上に乗っかっているリズムボックスを使った。それが殊の外面白く、非常に不思議な音がした。この頃、それはまるで家具のような機械だった。茶の節目模様かなんかで、とても「テクノポップ」とかいう体裁の良い言葉の似合わないものだった。
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