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荒木経惟 秋桜子

 私の作品集を企画、編集してくださった島本脩二さんの展示を見に行った。武蔵野美術大学内の美術館の一室に、島本さんが過去に手がけられた本が一堂に会している、とても見ごたえのある展示だ。(私の作品集も島本さんの最新の仕事として、会場内に陳列されている。)

 その中に、荒木経惟氏、通称アラーキーの「秋桜子」という写真集があった。
 この本は、秋桜子と名付けた少女との、8年間の恋の記録だ。

 はじめは(おそらく)10代の少女であった秋桜子が、アラーキーと恋をして、セックスもして、大人になって、最後は彼のもとから去っていくという構成になっている。


 アラーキーの恋人は彼女一人ではなく、他の恋人も登場する。アラーキーは、秋桜子以外の彼女とは、秋桜子とは違った、いわば大人の濃密な性関係を持っているようである。

 私は、20代のときにこの本を買っていた。
 有名タレントをモデルにした他の写真集よりも、生々しさを感じたのだ。

 でも、生々しすぎて、この本を部屋に置いておくのが嫌になり、捨ててしまった。その本を、島本さんが手掛けていて、50歳を過ぎた今、再び目にするとは。

 数十年ぶりにその本を手にして、私は涙してしまった。
 思い出したくない、苦い恋の記憶が蘇った。

 推定10代の秋桜子は、おそらく荒木氏が最初の男性だっただろう。この写真集は、そんなふうに感じさせる。最初ではなかったとしても、恋の経験はさほど多くなかっただろう。恋の甘さは知っていても、痛みを知らない少女が、自分以外にも恋人を持つ男性を好きになる。その恋人は自分よりもはるかに肉体的に強く結びついていて、自分の想像の及ばないような関係を築いている。そのことに、彼女の心はどれだけ傷んだだろう。
 好きになった相手に自分以外の恋人がいるということは、とても苦しい。

 自分のそばに彼がいない夜には、その恋人との情事を想像する。自分に触れた手が他の女に触れる、自分に向けて降り注がれる愛の言葉が、自分の知らないところで別の女に注がれる。自分を見つめる瞳が自分ではない女を映し、その唇が自分ではない女の体の隅々まで愛撫する。
 そんなおぞましいことをしながら、彼は平気な顔をして、また自分の前に現れる。憎いはずなのに、また受け入れてしまう不甲斐ない自分。

 はじめは恋の喜びに満ち溢れていた秋桜子の表情は、ページを追うごとに冷めた表情になっていく。嫉妬に苦しみながら一人の想い続けるのは難しい。秋桜子にもアラーキーとは別のボーイフレンドができて、彼女はアラーキーの元を一度離れるが、一年後に戻ってくる。そのとき、アラーキーは「ほらね、やっぱり戻ってきた」と記している。これがね、悔しいんだ。ほんとは戻ってきたくなんかないんだ。でも老獪な年上の恋人の術中に嵌ってしまう。

 しかし、その数年後に、すっかり酸いも甘いも噛み分けて、大人の女になった秋桜子は完全にアラーキーの元を去っていく。

 苦しい恋なんて知らないほうが幸せだ。
 自分に愛していると言いながら、ほかの女にも同じことを言う。そんな悪魔のような所業をやすやすとしてのける男なんて、いくらでもいると知識として知っていても、自分の恋人がそうであったとき、その不実さと、不実の誓いに心ときめかせていた自分に絶望する。それなのに、体を重ねれば愛しくなる。ときには、それを利用して、セックスでつなぎとめようとする狡猾な輩もいる。

 大人の女になんてならないほうが幸せだった秋桜子。でも、苦しい恋を知った女ほど妖艶で美しい。最後のページに近い彼女のポートレートは、凄惨な美しさを備えている。

 あの写真集がほかのアラーキーの写真集とは違って見えるのは、きっと島本さんの手腕だろう。そのことについては、今度お会いしたときに聞いてみたい。 


2019年10月14日(月)〜2019年11月9日(土)
武蔵野美術大学のデザイン教育アーカイブ
島本脩二「本を作る」展 デザイナーと編集者の役割
https://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/15934/

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