1O2A0615_コピー

女の体は人間の体

 伊藤詩織さん勝訴のニュース以降、彼女がピアノバーでホステスだったことに触れて、「水商売をやっていたような女だからレイプされても仕方ない」とか、「これで女性をお酒に誘いにくくなる」とか、果ては「恋をして、結婚したい男女にとって最悪なニュース」とツイートする区会議員がいたりとか、信じられないようなツイートが次から次へと流れてきて、ツイッターでジェンダーだの、女性の権利だのと言ったことを話題にするのが辛くなってしまった。
 そういえば、11月にトークイベントでご一緒した石川優実さんに対しても、「グラビアで脱いでたくせに女性の権利とか言えるのか?」みたいなツイートがたくさん流れてきて、イベントの前後は辛かった。
 伊藤詩織さんがホステスだったからと言って、性暴力を受けて当たり前なはずはないし、石川優実さんがヌードの仕事をしていたからと言って、人格を貶められることも当たり前ではないのに、女性性を売りにするような仕事をしている女性を人間扱いしない人たちの多さにぞっとした今年終盤。嫌な年末だ。
 でも、こういうことは、今になって始まったことではなく、昭和の頃はもっとひどくて、SNSで個人が勝手に思い思いの発言をするようになった今、顕在化してきたのではないかと思う。

 私が若い頃、少しだけ会社勤めをしたことがあるが、上司からレイプされそうになったことがあるし、写真学校の頃は同級生からストーキングされたり、モデル依頼を引き受ければラブホテルに連れ込まれるし、フリーランスになってからも、クライアントや広告代理店、制作会社の男性や、チームで仕事をしたカメラマンまで、お酒が入れば、ホテルに行こうと言うのがデフォルトになっていたしで、さんざん嫌な思いをした。でも、そんなことを世の中に向かって発言する機会もなかった。その分、それを我慢しろとか、お前が隙だらけだからなどと関係ない人から言われることもなかった。
 SNSがなかったころは、第3者からのセカンドレイプに傷つくこともなかった代わりに、性暴力というものが日常的に起こるものだということも知られなかったし、女性を性の対象としか見ない男性がこんなにも世の中に溢れていることが顕在化しなかった。その時代と、今とどちらがよかったのかと考えると、後者のほうが良いのではないかと思う。

 毎日のようにフェミが、ミソヲタが、と流れてくるのを見るのは精神衛生上いいものではないけれど、見えないものは存在しないもので終わってしまう。
 これからの時代、たくさんの女性たちが、発言することによって、すべての女性の体は「男性の性欲をそそるもの」ではなく、「人間の体」と認識されるように変えていくことができたらと思っている。

 自分をフェミニストであると断言するつもりはないが、私の考えるフェミニズムは、女性を優遇しろということではなく、女性を人間扱いしてくれということだ。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?