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ゆく川の流れ

 先月末、父が亡くなった。90歳だった。
 ヘビースモーカーで、10年ほど前から、肺を悪くして、医者からタバコをやめろと言われていたが、やめるくらいならとっとと死んだほうがいいと言いながら、全く死ぬ気配もなく、普通に生活していた。
 父は話が長く、行くたびに何時間も同じ話を聞かされるのが億劫で、元気だし、実家が遠方というわけでもないので、いつでも行けると思って、正月も顔を出さずにいた。
 記念すべき大手出版社からの作品集も、そのうちに見せに行こうと思いながら、1年が過ぎてしまった。父が入院して、もう先は長くないだろうと姉から聞いたのは3月半ばのことだった。
 とるものも取り敢えず、病院に駆けつけるとすっかり小さくなった父が眠っていた。声をかけるのも申し訳ない気がして、その日はそのまま帰った。その翌週、また病院に行くと、今度は起きていて「ああ、マキエか。もう死ぬから心配するな」と、元気だった頃と同じ口調で言った。
 せめてひと目でも見てもらいたいと作品集「マキエマキ」を出して見せたら、怪訝な顔をしていた。
 見舞いに行った次の夜、父の夢を見た。
 大和郡山(まだ行ったことはないが、行きたいと思っていた旧遊郭)を歩いていると、父がいつも着ていた赤いセーターとグレーのハンチングで現れ、「なんだ、こんなところを歩いているのか」と話しかけてきた。私は「あれ〜、退院したのね。やっぱり死なへんやん」と言って、桜の舞う中を二人で歩いた。
 父が死んだという電話がかかってきたのは、その夢を見た翌日の明け方だった。

 
 どんなものも同じであり続けるということは決してない。

 谷は年月を追うごとに削られ、川の流れも姿を変える。
 古い建物や町並みも、どんどん姿を消していく。
 人はいつか死ぬ。
 人の姿も年月とともに変わっていくし、心の移ろいは年月とは関わりなく訪れる。
 諸行無常。
 理屈ではわかっていても、後悔することばかり。

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