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34/100 ガルシア・マルケス著「ママ・グランデの葬儀」/建設は死闘、破壊は一瞬

順調に過ごせた8月9月から一転、今月は読書も映画鑑賞もヨガも書くのも滞っている。原因は色々あって、まずは最初の週末、初めてのGoto 都内ホテルステイをしたものの、読書したり書き物をしたりするはずの当初の計画はうまくいかず・・・
その後Amazon Primeの「バチェラロッテ」という番組にはまり、それと引き換えに映画を観る時間・読書時間の大半が消滅。
更に会社の評価システムが「360度評価」で、今月は自己評価の他に10人弱の同僚のフィードバックをすることに。かなり前から取り組んだはずなのに結局終わったのは期限ギリギリ、とまあ、言い訳は他にもあるのだけれど。

振り返ってつくづく思うのは「建設は死闘、破壊は一瞬」という中学時代に歴史の先生がよく唱えていた言葉。10月最初の週末に読書も映画も文章を書くこともできなかったのが、ここまで尾をひいている。
2か月いいペースで過ごせていたとしても、ほんの1回の週末、躓いただけでガタガタと崩れてしまう。この怖さを胸に刻んで、身につきかけたインプット&アウトプットの習慣をまた取り戻したいな、という今日は決意表明のnote。

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読書だけは比較的マシに取り組めていて、今はノーベル文学賞作家、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読んでいる。読むキッカケになったのはその前に読んだ同じくマルケスの「ママ・グランデの葬儀」。この本に収録されている「大佐に手紙は来ない」という中編が妙にひっかかって、それでこの話に繋がっている、「百年の孤独」を再読してみようと思い立った。

物語の中で、大佐は56年間、退役軍人が受け取れるはずの年金を待ち続けている。息子が死んでからはいよいよ生活が苦しくなり、家のものを売ってはなんとか生活を成り立たせている状態。そんな大佐は軍鶏を飼っている。軍鶏同士を戦わせて、自分の軍鶏は勝てばお金は入るが、負けると一銭も入らない。軍鶏の試合まで約2か月。
いよいよ売るものがなくなって生活が困窮を極めた時、軍鶏を売って欲しいと妻から懇願される。大佐は一度は売ろうと心に決めるものの直前でその決定を翻す。妻はとうとう我慢できずに「あたしたちはなにを食べればいいの」と彼を詰問し、そしてゆすぶる。
その時大佐はこんなことを言う。

大佐は七十五年の歳月ーその七十五年の人生の一分、一分ーを要して、この瞬間に到達したのであった。
「糞でも食うさ」
そう答えたとき、彼はすっきりとした、すなおな、ゆるぎのない気持ちであった。
ガルシア・マルケス「ママ・グランデの葬儀」

以前代々木公園の傍を通りがかった時、炊き出しに並ぶホームレスの方々の列を見かけたことがある。私が見かけた人たちは一様に目に生気があって、その生気が私が思う「ホームレス」のイメージとはかけ離れていて、それが何だかずっと頭にあった。そしてこの一節を読んだ時に、彼(女)ら達の生気の理由が少しわかった気がした。

どう生きるか、は思っているよりずっと自由で、ただ選びとりたい道の先の「もしも」に足がすくんだりする、だから迷う。ただ大佐のように「糞でも食うさ」という境地にたどり着いた時、そこには何ともいえない晴れ晴れとした世界が広がっているんだろう。

今の私は「糞でも食うさ」という境地にたどり着いてまで邁進したい道がない。それは幸せなことではあるけれど、何だか少し残念で。だから大佐の妻を気の毒に思う一方で、大佐の心境とシンクロしてみたい、そんな心持ち。




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