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2019/3/6 捨てる神と拾う神

ここ最近彼が体調崩したり私が体調崩したり、転職しようと職務経歴書をアップデートしたり面接に行ったり。かと思えば複業の方で新規の引き合いがあったり、ずっと関わってる先で問題が発生したり、なんだかとても慌ただしかった。

そんな忙しさがようやく収束した今日、行きたかった会社からお断りの連絡をもらってあーあという感じ。英語のスキルが足りてなかったのがその理由で、実は先日テストを受けてすぐに次の連絡がこなかったから薄々そうなんじゃないかと思っていた。

こういうとき、昔の私はああなんで英語をもっと勉強しておかなかったんだろうと悔やんでいた。今の会社に転職してから時間はたっぷりあった。毎日1時間でもコツコツやっていればこんな事にはならなかったのにと。

ところが今の私はずいぶんあっさりしていて、英語のスキルが足りないなら仕方がないよなあと感じる所存。勤務地も労働条件もよかったから残念な気持ちは当然ある。ただ英語のスキルが足りないまま入っても不幸だし、入る前にジャッジしてくれてよかったな、とさえも思う。

実はこの考え方、彼に影響を受けている。彼は考えても無駄なことは考えない主義だ。英語をもっと勉強してたらと考えたところで何もない。だったらその教訓を生かして今から勉強すれば、なんて。

そしてもうひとつ。とある媒体から記事執筆のお声がけをいただいて、今日が初回の原稿の提出日だった。初めての媒体、初回の出来が今後継続に書かせてもらえるかのカギになる。ここ数日はこのクオリティで本当にいいのかと原稿と格闘していたのだけど、行きたかった会社の面接同様、もしこれでダメだったらそれは私の実力不足だから仕方がない、と思うにいたって提出。こっちはめでたく一発でOKが出て、ああ書く方は実力が足りていたなかもなあとほっとした。

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ただ心の奥底では、もうすこし別のことを考えている。捨てる神がいて拾う神がいた。もしかしたら本当はそれだけのことなのかもしれないと。

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