見出し画像

2019/4/27 格差の話

毎月1回マダムの家で料理を習っている。今日は試食後に格差の話になった。専門学校で先生をしている方が、最近は皆奨学金で通っていて、卒業時点で数百万円の奨学金の返済を抱える人が多いと言う。そこからついこの間テレビでやっていた格差の番組の話になり、小中学生で給食費が払えないとか、そういう家庭も多くある、国としてどうしていけばいいのか、と参加者一同でしんみりとした。

一方で次の話題は東京都心部の教育事情。私が住んでいる地域は小学校3年生では大手の塾に入れない。定員が埋まってしまうからだ。だから、入るなら小学校2年生の冬。年々加熱しているから、それも来年はどうなるか分からない。
そんな話をしたら、一緒に参加している方が、うちの子は幼稚園から入れたよ、と教えてくれた。そう、私のまわりも最近は小学入学前から塾に通うという話をちらほらきく。

ふたつのまったく対極の話題に触れて思い出したのは、小学校の時のことだ。私が通っていた公立の小学校には色々な経済事情の子どもが通っていたのだけど、なんというか、それを意識するような機会がほぼなかった。ところが中学にあがると「貧乏」という言葉をよくきくようになった。主にその言葉を発していたのは別の小学校から来た子で、そちらの小学校では「貧乏」「貧乏じゃない」というラベリングが盛んだった。市営住宅/ニュータウン/昔からのおうち、と、私が通っていた小学校の学区と違い、住むエリアによって貧富の差がなんとなくわかる構図で、行くスーパーもレストランも、なんとなく住み分けがされていたからなように思う。

「格差」とは相対的なものだ。だから「外」を知って、はじめてその差に呆然とする。専門学校生の話、まわりが皆数百万円の奨学金返済をしているなら、自分が貧しいという気にはならないように思う。一方でたとえ奨学金の返済はなくても、休みは皆別荘で、海外でというクラスメイトの話を聞いたなら、休みにどこも行かないとは、なんて貧しい、そんな気持ちになるんじゃないか。

格差は是正した方がいい、それはそうなのだけど、じゃあどうなると格差が是正されたことになるのかというととても難しい。

娘ちゃんのことを考える。日本全国で考えれば、うちは裕福な部類になるんだろう。ただ住んでいるエリアの中で考えると全然だ。このまま今のエリアの小学校に入ったのなら、娘ちゃんは、自分の家は裕福ではない、貧乏だ、という認識になるように思う。それが果たしていいことなのか、どうなのか、時折考えるのだけど、よくわからずにいる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?