人生の主人公になるのは難しい
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M-1決勝進出者が決まった。
昔からお笑いは好きでM-1も毎年見るけど、1回戦からしっかり追ったのは今年が初めてだった。
予選から追いかけている分、好きな芸人さんが敗退するとすごくすごく悲しくて自分のことのようにブルーになる。
そんな悲しむ自分を俯瞰して見ている自分もいて、そいつは「なぁに芸人さんの人生に自分も乗っかってんだよお前は何もしてないじゃんかよォ」と罵ってくる。
でもそれは本当にそうで「自分」はただのファンで何もしていなくてただ応援していただけで、芸人さんの人生を少し担がさせもらっている気になっていただけ。
芸人さんは何倍も何十倍も努力して年に1回のこの大会に賭けているのにそれに乗っかって一喜一憂しているそんな自分がなんか嫌で純粋にお笑いとしてM-1を楽しみたいと思ったりする。
ママタルトのひわちゃんがラジオで「とにかく楽しい気持ちでお笑いを見てほしい」と言っていたが、お笑いを好きになればなるほどその気持ちを持って見ることは結構難しい。
ジャルジャルが好きだった大学生の頃、2015年、2017年、2018年のM-1はテレビの前で脇汗をかきながら(なぜ?)、福徳さんの悔しそうな顔を見て胸が苦しくなっていた。
ジャルジャルがM-1卒業した2019〜2021年は比較的ゆるーく楽しんでM-1を見れた。
今年からお笑い熱が再熱しライブに行くことが増えて、好きな芸人さんを応援していくうちにM-1も楽しむことより結果を見て一喜一憂する気持ちが大きくなる。
この経験則から言うに、特定の芸人さんに肩入れせずにお笑い全体を好きなだけであればM-1も純粋にお祭りとして楽しめるのかなと思う。
お笑い好きになればなるほど難しいけどね🥲
ちょっと話はずれると思うけど私のような自分の人生でこれといって自信持って打ち込んでいることがないから故に他人の人生に自分を当てはめて喜んだり、悔しがったりすることで生きながらえている人間は多いと思う。
それと同時に芸人さんのような努力して頑張っているけどそれを感じさせずに楽しませるそんなキラキラした姿を生で見ると「あぁ、この人たちはこんなに頑張ってかっこいいのに私って、、」と自己嫌悪に襲われることもあるけど🥲
そういった自己嫌悪を初めて感じたのは初めてちっちゃいライブハウスで忘れらんねえよと爆弾ジョニーの対バンを見た高校3年生の春。
初めて見た爆弾ジョニーはまだその頃21歳とかで当時の私と4つしか変わらないのにステージの上で見る彼らはキラキラしていてかっこよくて眩しかった。
とっても楽しいライブだったけど家に帰ってから、「あの人たちはあんなに人生の主人公みたいにキラキラしているのに私は全然じゃん」って考え込んでしまって次の日学校なのに一睡も出来なかったことがある。
その気持ちは今もたまあに顔を覗かせてくる。
M-1決勝進出発表でもニョキニョキとその気持ちが湧き出てきた。
敗退した芸人さんを見ても決勝進出が決まった芸人さんを見ても自分の人生と照らし合わせるとドラマがあって眩しくて「人生の主人公感」が半端ない。
私は自分の人生の主人公になれてる気が一切しない。
大人になればなるほど自分持ってなさすぎ!って思うことが増えた。
何かしたいこともなりたいこともないし、たまにただ死ねないから生きてるだけじゃん😅みたいに思うことがある。(鬱じゃん😅)
そんな薄っぺらーい人生だから少しでも喜んだり悲しんだりしたいからお笑い芸人さんの人生に乗っかっちゃうのかも知れない。
自分の人生をキラキラさせるには人生何周すればいいのだろうか!
なんかとても暗い話になってしまったけど、M-1決勝進出した芸人さんおめでとうございます㊗️
敗者復活組の芸人さんも寒い中大変だとは思いますが頑張ってください🤝
今年も素敵なM-1になりますように。
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