早発閉経になったわたしのこれまでとこれから
これは、女性であればいつかは終わりがくるのだろうと漠然と思っていた自分が早発閉経になるなんて思いもしなかったわたしの話だ。ノンフィクションである。
今、生理に悩んでいる、ちょっとそこのあなたに少しでも参考になれば幸いだ。
それまでのわたし
簡単に自己紹介しよう。
わたしは現在40代前半、20代後半で結婚し、30代半ばで離婚を経験。子なし。今は自由なフリーライフを満喫しているフツーの女だ。
結論からいうと、わたしは39歳の時に病院で、【早発閉経】との診断を下された。
え??まさかわたしが?閉経?
まだ30代だよ??
正直とてもショックだったのを覚えている。
女性であれば、始まりがあればいつか終わりが来るのだろうと漠然と考えてはいると思う。
だが、自分の中ではあまりにも唐突な出来事だった。
「早発閉経」って何?
さて、「早発閉経」とはなんぞや?
わたしの浅い知識ではなんとなくしかわからないので、まずは調べてみた。
早発閉経
(早発卵巣不全、原発性卵巣機能不全)
早発閉経の原因は?
わたしの生理遍歴
ひとまず、わたしの生理遍歴について遡ってみる。
昔から生理は重いほうだった。
10代ではあまり気にした事がなかった生理痛は、社会人になると同時に変化していった。
次第に量が増え、痛みに悩まされていった。
高校卒業後、夢もなく、また家庭の事情もあり、進学しなかったわたしは、販売の仕事についた。
高校生の時からアルバイトをいくつか経験してきた中でも、接客販売の仕事は嫌いではなかった。
とはいえ、学生の頃とは環境も違い、ましては週5日フルタイムで働くなど経験したこともなく、徐々にストレスがたまる一方だった。
当たり前だが仕事中はずっと立ちっぱなし。
当時は、仕事中に水分補給など出来なかったし、(今は出来るところが増えてきたよね)トイレもすぐになかなか行けない環境だった。
振り返ると、その頃から徐々に生理痛が、いわゆる"重く"なっていった気がする。
量はそこまで多くなかったが、初めて仕事中に立ってられないほどの鈍痛?という名の痛みを経験し、その場でしゃがみ込んでしまった。
堪えようのない痛みで涙が出てきた。
わたしは、どうにかなってしまったのではないかと少しパニックになりつつも、上司にお腹が痛いと訴えた。
20代半ばの女性の上司だったが、生理痛をあまりわかって貰えず、最初は、ただの腹痛でしょ?くらいに言われのだが、泣いているわたしを見かねてか、医務室で少し休むように促された。
医務室といっても、なにも設備も整っていない暗い一室に簡易ベッドが置いてあるだけで、鎮痛薬も何もない。結局、痛みがおさまらず帰宅した。
そこからわたしの生理痛との付き合い(?)がはじまった。
人間てのは不思議なもので、何度か経験すると、慣れてしまう生き物だ。
月に一度訪れる痛みも、あ、また来た、と思うだけで、市販の鎮痛薬を飲んで対処するだけだった。
徐々に量も増えていった。
レバー状の血の塊も増え、夜用のナプキンも1〜2時間すれば溢れてしまうようになった。
夜はというと、夜中に溢れてくるのが心配で、うつ伏せでしか寝れず、何度もトイレに駆け込む。と言う生活をしていた。
そんなこんなで、生理中はいつも寝不足だった。
だけども、こんなものでしょ、と、誰かに相談する事もなく自己解決し、我慢する事しか考えてはいなかった。
今思えば、多分、20代だったから乗り切れていたのだと思う。
その後、結婚。
当時、わたしも元夫も子供が欲しいとの願望がなく、まぁ、いつかその時が来れば良いかなぁと何となく考えていた。
最近、普通の動作をしているだけなのに息が苦しい。と感じ始めたのは、30代に入ってからだった。たまに吐き気もあった。
もしや妊娠?と何度か妊娠検査キットを用いてみたが、全て陰性だった。
それでも、ただの運動不足かな?と病院には行かず、月日は流れ、たまたま会社の健康診断を受けた時だった。
いつものように、流れ作業で診断を受け、最後に受付で完了のための順番を待っている時に、後方から自分の名前が呼ばれた。
声が聞こえて来たのは、受付ではない場所だった。
何だろう?と行ってみると、
医師から座るように椅子に促された。
大丈夫ですか?
重度の貧血ですよ?
身体お辛くないですか??
どうやら、血液検査で引っかかったようだ。
数値がかなり下回っているので、無理しないようにと促され、帰路に着いた。
感じていた息切れや、吐き気はどうやら貧血による症状だったのだ。
30代に差し掛かり、20代では耐えられていた生理が身体に堪えるようになってきていたのだ。(単なる自己管理不足ともいう)
身体がもう若くないのだ、と信号を出していたのにずっと気が付かないでいた。いや、気が付かないフリをしていたのかもしれない。
小さい頃は身体が弱く、よく入退院を繰り返してきた。
病院が嫌いだった。
いつも苦い薬を飲むのが嫌で、わがままいっては母を困らせていた。
それからスクスクと成長しおかげさまで身体も丈夫になり、病院とは無縁の生活をしてきたわたしも、そろそろ自分の身体を労わらないといけない年齢になってきたのだ。(年齢は関係ないか?)
すぐさま近くの病院に通い、鉄剤を処方してもらった。
やはり、原因は生理によるものだと思われたが、まずは投薬で様子をみる事となった。
それからは、鉄剤を飲み続け、息切れと吐き気が少しずつ改善しては、生理が訪れ振り出しに戻るを繰り返していた。
もう、いっそのこと生理が終わるまで永遠に続くのではないかと、半ば諦めていた。
入院
事態が変わったのは、それから数年後。
結婚後もフルタイムで、立ち仕事を続けていたのだが、ある日、風邪も滅多に引かないわたしが珍しく熱をだしたのだ。
風邪かな?と熱を測ってみると体温計は38℃をさしていた。
身体はとてもだるく、いつも体調が悪くても食欲だけはあるわたしが、食欲がない。
だが、仕事を休む訳にいかなかった。
店舗内で数名で店を回していたため、自分が休んでしまうと穴が空いてしまい、他のスタッフに迷惑がかかってしまうからだ。
幸い咳もない。熱もすぐ下がるだろう。
休みまであと3日。なんとかいける。
と、わたしは店頭に立ち続けた。
食事はビタミン入りの炭酸飲料しか飲む気が起きず、3日間乗り切った。
だが、熱が下がる事はなく、相変わらず38℃のままだった。
熱が下がらないどころか、どんどん背中に激痛が走る。
ただの風邪じゃないのか?と疑問に思いつつ、やっとこさ訪れた休日に、腹部に今まで経験した事のない激痛が訪れた。
もはや風邪ではないとの確信に変わり、ふらふらと近所の病院へ向かった。
症状を伝えたところ、インフル検査(時期は冬だった)と血液検査をひとまず行う。
とりあえず、検査結果が出るまで3日間ろくに食べれず栄養不足の身体に点滴を打ちながら待つことになった。
ようやく結果がでた血液検査で炎症の数値が高いとのことで、レントゲンを撮った。
結局、腹部に何かあるが、これが何かはわからないと告げられ、原因不明。
至急、大きい病院へ行って検査をしてもらってください。と紹介状を書いてもらった。
平日で元夫は仕事でおらず歩いていける近くの病院にしたのに、紹介された病院は、電車で行かないといけない場所にあった。
本当にしんどかった。フラフラと言われるがまま、病院に向かった。
ようやくたどり着いたが、大病院のためかすぐ診察してもらえず、待ち時間がかなりかかった。
言われるがまま案内された場所は婦人科だった。
ようやく診察室に通された。
お腹に何かあるため、まずはそこを調べる様子だ。
どうやら左右にある卵巣あたり?が異常な大きさになっているみたいだった。
炎症の数値の原因がそれによるものとは現時点では特定できないらしい。
入院して検査していく必要があるとその場で伝えられた。
Tさん、今すぐ入院ですね。
えっ!?今すぐ??
あの、一度帰っても良いですか?
仕事の事もあるし…
慌ててわたしは言った。
ダメです。命と仕事、どちらが大事なの?
と医師に知ったこっちゃないという感じに嗜められた。
わたしは黙ってしまった。
命に決まってるじゃないか。
わ、わかりました。と渋々承諾し、そのまま入院することとなった。
その後、詳しい検査の結果、卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)という病気が判明した。
卵巣嚢腫とは?
その中で、わたしの病名は、”チョコレート嚢腫”だということも告げられた。
腫瘍マーカーというものがあり、身体の中で何らかの原因で、その数値が高くなるらしい。
まずはその数値が高いため、すぐには手術はできないらしく、原因特定の検査をしつつ体調が落ち着くのを待つらしい。
そのまま入院となったわたしは、それから1か月ほどで体調が落ち着いたため、一旦退院し、後日、チョコレート嚢腫切除の手術のため、一週間ほど入院した。
退院とそれから
無事手術も終わり、幸い、腫瘍も病理検査の結果、良性ということがわかり一安心した。
退院後もしばらく痛みが続いており、休職をしていたのだが、
その後、仕事を退職し、しばし休養をとった。
それから、座ってできる仕事を探して転職し、いつもの日常を取り戻す事ができた。
そして、再発しないか確認のため、3か月ごとに通院することになった。
生理は手術のおかげか、以前より痛みは引いており、また、婦人科に通うようになったので、自身の身体の変化も見逃すことが少なくなった。
そして悩んでいた貧血も改善しつつあった。
不正出血と
そのまま数年が経った。
病気については、幸いその後も、再発もなく過ごす事ができていた。
ただ、30代半ばを過ぎたあたりより、体調の変化が出始めた。
ふとしたことで気分の浮き沈みがあり、イライラしたり、また、身体の内側が、かぁーっと熱くなって(特に上半身)汗が噴き出てきたり・・・
いろいろ調べてみると、ホットフラッシュ?いわゆる更年期症状のような・・・
いや、でもまだ30代だぞ?などと悶々としていた。
その頃のわたしはというと、いろいろあり、結婚生活にピリオドを打ち、晴れて自由な独身生活を満喫していたところだった。仕事も順調。
順調でないのは生理の方だった。また不順になってきたのである。
ただ、以前より少し違った不順。
毎月来ていたのが1ヶ月ごとにこなくなったのだ。
あと、不正出血も増えた。下腹部にチクチクっとした痛みがあることも。
その事について婦人科で尋ねてみたはものの、原因はわからず、とりあえず低容量ピルを処方してもらい様子を見たりしたが改善はされなかった。
それからは、前より量が少なくなったりと体調的にもいいし、まぁ、いいかと、のほほんと過ごしていた。
生理がこない
それから時は経ち、39歳の年に、生理がパタっと止まった。
その前から3ヶ月経ってようやく来る、と言うのが何度か続いていたのが、5ヶ月経ってもこない。
そのうち来るだろうと気楽に構えていたが、流石に違う病気かと不安に思い、わたしは婦人科向かった。
その婦人科で検査をした結果、女性ホルモン(エストロゲン)の数値などが減少しており、”早発閉経”との診断が下された。
そう、それ以前のモヤモヤとした症状はやはり更年期症状だったのだ。
原因は不明だという。40代前でも稀にあるらしい。
正直、ショックだった。
別に絶対欲しいと思っていたわけではないのだが、それでも、もう子供が産めないんだなと一つの道が閉ざされた気がした。
なんとも言えない気持ちがしばらく付き纏った。
それからのわたし
それからのわたしは、一言で言うと超元気だ。
現在は慢性の貧血からも解放され、やりたい事をする、我慢する事もしない。をモットーにこの数年間元気に暮らしている。
もちろん病気になっていろいろと考えた。
だんだんと、悩んでも仕方ない、なってしまったものだし、逆に生理から解放されていいこともあったしと、これからの未来を考えることにしようという考えに変わっていった。
これまで、生まれてきてなんとなくで生きてきたが、人はいつかいなくなる。
人生はずっとではない。
くよくよと悩んでいる時間なんてあまりにも勿体無いではないか。
新しいわたしと、これからの人生を楽しんで生きていきたいと思う。
わたしの場合、相談もせず一人で悶々と悩んでしまい精神的にとても辛かった事もあった。
もし、生理について悩んでる人がいたら、誰でもいい、周りの誰かに相談してみてほしい、また、周りの人生の先輩方も惜しみなくアドバイスしてあげて欲しい、と切に願う。そして病院にも億劫がらず行ってみて欲しい。
自分の身体を守れるのは自分自身なのだ。
限りある人生を楽しく明るく過ごせるかはあなたの行動にかかっている。
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