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自発っていってもいろいろ。

「自発的に」「自ら」っていっても、いろいろなレベルでの「自発」があると思う。

「自発的に○○しなさい」って言う人は、どういう風に何をするのが”自発”っていうイメージがあるのだろうけども、それだけが”自発”ではないと思う。

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そもそも「自発的にしなさい」っていうのは”自発”ではないと思っているのだけど。

たいていこういう場合の”自発”って、指示する側の思っていることを、言われる前に自らやりなさい、ってことがほとんどではないかな、と。
決まっていることや、その場での答えがあるものを、自分からやってねっていう。

もしくは、どういうのがいいという答えはないけど、なにかアイディアとか解決策とか考えて提案してほしい、提案してきたものが想定の範囲内であってほしい、というような。

(極端な言い方かな?とも思うけど、実際会社だとそんな感じじゃない?)

だけど、”自発”ってそんなのだけじゃない。

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自らなにかやってるのは全部「自発」だよね?

やるべきことを、人から言われる前に自分で計画して管理してしっかり実行してるのも「自発」。
やるべきことをやっている中で、自分で工夫して改善したりするのも「自発」。
やるべきことよりも、自分からちょっとプラスしてやってみるのも「自発」。
やるべきことのやり方とか内容とかを、自分から変えようとするのも「自発」。
やるべきことの範囲を、自分から広げようとするのも「自発」。
やるべきことと全然違うことを、提案したりやってみたりするのも「自発」。

ほかにもいろいろあるのだろうけど、たとえばこんな感じでいろいろ。

その中で、その場や状況によって、よしとされたり否定されたりするだろうし、会社だったら方針や費用対効果的に許容や承認されるのとそうでないのがあるだろうけど、だけど「自発」というのを求めるのなら、自発的になにかしてみたこと自体を受容してみてもいいんじゃない?とも思ってしまう。
そうじゃない、違う、だめだ、ってだけじゃなくて、結果的にそう判断したとしても、自発的にやってみたことを受け止めたよ、ってのは必要じゃない?受け止めて検討して結論としてNGとなるのはしょうがない(何か足りてない部分があるためであって、自発的にしたことかどうかは関係ない)。

自発的にしてみたことが否定されるなら、決まったとおりのことや言われたことをやっている方が安心ってなってしまうから、内容と、自発的に行動したこと自体とを、別にして評価やフィードバックが必要だと思う。

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そして、その場や状況に、その組織に、足りないから求める、こんなものがほしいというのがあるのはわかるけど、すでにあるものやできていることも必要だし大事だし。
それぞれのいろんな「自発」が、場や状況によってそれぞれ必要なところがあるのだから、それぞれ合う場や状況でいかせればいいと思う。

ないものやできていないものを求めるだけではなくて、どううまく生かすかというのもあるし、まだうまくいかない部分もどう伸ばすかだし。
こういうのがいい、っていうのを見ていて、うっかり伸びてくるはずの芽が摘まれないようにできたらいいなと思う。

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