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#24 プラスとマイナス -プリー

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

海辺ののどかな保養地プリー。居心地の良さで有名な日本人宿。
「旅の疲れに癒しを求めて…」というにはまだ早すぎるけれど(この時点でインドに来て一週間弱)、ホッとする風景や空間を求めてここにやって来た。

結論から言うと、前評判からの期待に反して、どっぷり沈没したくなる気持ちにわたしは全くならなかった。まだインドに入ったばかりだから当たり前かもしれないけれど、「もっともっとインドの違う顔を見たい」という気持ちの方が断然強かった。そしてこれまでにも何となく感じていたけれど、わたしは海よりも、山や緑の自然の方が好きなのだ。

プリーで印象に残ったことは、嬉しい体験と嫌な体験が一つずつ。

<嫌な体験>
太陽の輝く海に見惚れながら写真を撮り、気持ちよく浜辺を散歩していた時、一人の少年が寄って来て、つかまえた小さなカニを見せてくれた。「Nice!」と笑顔で答えたわたしに、少年は「Money」と言ってきた。ちょっと顔をしかめて「No」と答えたわたしから、少年はすぐに離れて行った。と思った瞬間、いきなり後ろから走ってきて、通り過ぎ様、わたしの左胸をワシづかみして走り去って行った。

一瞬、何が起こったのかわからず呆然。
混乱のあまり「カメラを盗られた!?」と思ったけれど、カメラをさげていたのは右腕の方だった。少年は何度も振り返りながら、わたしが歩く道の先に逃げて行った。500mくらい先で立ち止まってこちらをうかがっていることがわかったので、わたしは道を変え、人がなるべく沢山居る方へ急いだ。小さな少年だったけれど「クソガキ!」という思いよりも、恐さの方が強かった。

ここは確かにのんびりできるけれども、人との接し方に戸惑うことがあった。一見して、いわゆる物乞いには見えない人から「Money!」と怒ったような態度で手の平を差し出されることが何度かあった。物乞いに見えようが見えなかろうが、誰に対しても、ただ単にお金を渡すことはしなかったので、見た目をとやかく言う筋合いは無いかもしれない。けれど、彼らにとって外国人のわたしは”何もせずともお金を置いていくべき存在”なんだろうか?と。先の少年のことがあったので、小さな子達でも「1ルピー!チョコレート!」と大勢から囲まれると、ちょっと恐かった。


<嬉しい体験と、反省>

浜辺の漁村を訪れた時、開かれた家の戸口から「Hello! Where are you from? What is your name?」と言いながら、女の子達が飛び出してきた。答えたわたしの腕を引いて家に招き入れ、盛んに「Sit down please!」とイスを勧めてくれる。奥から出て来たお母さんは、チャーイをふるまってくれた。いくつかのぎこちない会話の後、一人の子の手の平のヘナをわたしがほめると、恥ずかしそうに微笑んだ。

それからヘナの道具を持って来て、わたしの左手にペイントしてくれた。床にしゃがみ込んで、丁寧に器用に描き進め、時々わたしを見上げて微笑む。かわいいこの子のそんな姿を眺めているのは、素直に楽しく嬉しかった。けれども反面、「終わったらいくら要求されるんだろう?」という思いが渦巻いていた。
結局、Moneyというコトバは一度も出てくることなく、わたしの持っていたカメラで写真を撮ることだけを何度もせがまれた。そしてemailアドレスを教えてもらい、後日、撮った写真を送る約束をした。お金目当てと決めつけていた自分が恥ずかしく、反省の思い。

こういう体験は素直に喜びたい。けれどもこの先、同じような体験の後にお金を要求される場面もきっと多々あるはず。何となく、そこは心しておく必要がある気がする。無償の好意が当然、と思うようにはなりたくない。

通りを歩いていると、Photo!Photo!と、とにかくよく声をかけられる
通りを歩いていると、Photo!Photo!と、とにかくよく声をかけられる
通りを歩いていると、Photo!Photo!と、とにかくよく声をかけられる


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