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#9 ランプーンとの日々₋2

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

ランプーンとの出会いによって、シーパンドンでの2日間は、わたしにとって特別なものになった。

ボート乗り場で初めて彼女を見たとき、わたしは彼女のことをヨーロッパのどこかの国(予想はスペイン)からの旅行者だと思っていた。なんとなくこれまでに見てきたラオス人とは、顔だちも、服装も、雰囲気も違っていたからだ。けれども話を聞くとラオス人で、わたしたちと同じくビエンチャンから来たという。

後から色々と話すうちにわかったのだが、彼女の以前の彼氏がオーストラリア人で、その彼と付き合っていたとき二年ほどオーストラリアに住んでいたことがあったという。だからわたしよりもずっと英語は流暢だった。彼女の褐色に日焼けした肌にしばしばわたしは見惚れたものだが、「これでも昔は色白だったのよ」、「元カレがbrown-skinを好んだから焼いちゃったけど、ラオスでは色が白い女の子の方が好まれるから、これ以上は焼けたくないの」。

そう言って、長いまつげに縁どられた目を細めて笑っていた。

シーパンドンは、日本人の旅行者の間ではまだそれほどメジャーではないと聞いてはいたけれど、確かに、これまでに訪れたルアンパバーンやビエンチャンに比べると、日本人を見かけた数は圧倒的に少なかった。ここに来たことがある人の話によると、「とにかくこののどかさ故に、何もしないままボーと過ごしていて、気がついたらあっという間に一週間が過ぎていた」、なんてことになるらしい。

旅をスタートしたバンコクからここまでの行程をわりとせかせか移動してきたことに、何となく不甲斐なさ(計画行動から抜け出せない自分の余裕のなさ)を感じていたわたしは、「ついに、沈没したくなるときが来るのかな」と、旅先で次の目的地を失い虚ろな目で沈殿していく自分の姿を想像しては、“沈没”という言葉にふくまれた長期の旅人の間でのみ通じる特別な意味に、甘美な罪悪感を抱いたりした。

ところがそんな期待とは裏腹に、彼女と出会ったおかげで、ものすごく精力的に動き回った2日間だった。

貸自転車屋で古いママチャリを二台レンタルし、とにかく島中を縦横無尽に駆け巡った。コーン島とデット島を結ぶ橋を何度往復したかわからない。雨季の田舎道はぬかるみが本当にひどくて、ペダルをひと漕ぎするのにも信じられないほど太ももの力を注ぎ込んだ。にもかかわらず、ママチャリの後輪は、空回りするように粘ついた泥だけを周りに跳ね散らかして、ほとんど進んでくれないこともしばしばだった。おかげでこの2日間でずいぶんと足腰を鍛えられた。

有名な滝を見に行き、川イルカを見るためにボートに乗り、小さなお寺を訪ね、メコン川に沈む夕陽を見るために島の西側のレストランを目指し…と一日中自転車をこぎまくったので、夜には二人とも「お尻が痛い!」「ひざが痛い!」と言って、笑いあった。何か二人で大きなことをやり遂げたような、そんな充実感が心地よかったのは、わたしだけではなかったのかもしれない。

ランプーンに比べて圧倒的に英語の語彙力の少ないわたしは、自然と聞き役になることが多かった。自転車を漕ぎ疲れた足を休めるために立ち寄ったカフェで南国のフルーツ・ジュースを飲みながら、彼女の生い立ちや今の生活、仕事、これまでのボーイフレンドのことなど、話は様々なところへ広がっていった。それは、日本で生まれ育ったわたしからすると、想像を絶する、というかーーーまるで小説や映画の中で起こった出来事のように思えるものだった。

それについて彼女は、「わたしの人生にこんなひどい事が起こるのは、きっと前世の行いが良くなかったからだと思う」とつぶやいた。そして、「日本にもそういう考え方ってあるの?」と聞かれたとき、わたしは「ある」と短く答えることしかできなかった。

ほとんど相づちしか打てない自分にしばしばもどかしさを感じたけれど、彼女は最後に、「わたしばかり話してごめんなさい。聞いてくれてありがとう。」「わたしは、これを誰かに話す必要があったんだと思う。」と静かにつけ加えた。

シーパンドンには、日本の田舎にいるような懐かしい田園風景が広がっていた
ピンクの川イルカを見に行って、イルカには会えなかったけれど、猿がのんびりと食事をしていた
雨季の雨の後のメコン川の流れは激しい
褐色の肌とスッと伸びた背筋がキレイだな…と見惚れたランプーン
メコン川に沈む夕陽を見ながら二人で色んな話をした


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