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喪主
祖母が亡くなった。
お葬式をした。
喪主をした。
祖母の葬式の喪主をする孫の割合って、
喪主全体の何%なんだろうか。
私の母が亡くなってから2年。
祖母にとってみたら、娘を先に亡くした。
母の死後、90を過ぎた祖母を一人暮らしさせるわけにはいかず、住み慣れた土地を離れ、私の家の近所の施設に入ってもらった。
祖母にとっては、なんの馴染みもない町へ。
でも、私の家の近所なので週に1.2回は祖母の施設を訪ね、車椅子をおして一緒にお散歩したり、
施設のクリスマスイベントに一緒に参加したり。
近くにいると会えていいなぁーと思っていた。
春になったら、近所の川沿いの桜がきれいだから、
一緒にお散歩しようと約束していた。
正確に言えば、私が勝手にやりたいと思っていた。
しかし、約束は果たせなかった。コロナだ。
施設では、外出も面会も制限された。
会えても15分以内。距離も離れて、手も握れない。
コロナ禍で、私の仕事も在宅メインに。
こんなに会えないなら、家で祖母を見たほうがいいのかな?と思った矢先。
祖母の食欲がなくなり、病院へ入院した。
そして、2ヶ月後、亡くなった。
私の施設に入れた選択は正しかったのだろうか。
コロナにかかる危険性があがったとしても、
一緒に住んで、同じ時間を過ごせばよかったのでは。
いろいろ考えがぐるぐるしてしまう。
なぜ、あの時、家で見る選択をしなかったのか。
いや、あの頃は、出社が必要だったから、
家で見るのは、現実的とは言えなかった。
そもそも、そんなに、私の仕事って重要だったのだろうか。やめてもよかったのかもしれない。
やっぱりグルグルしてしまう。
祖母の残した言葉に『而今』という言葉があった。
仏教用語で、過去や未来にとらわれず、今を精一杯生きるということらしい。
過去の自分の選択をくやむ私のことをわかって、
祖母が遺してくれた言葉なのかもしれない。
亡くなっても、
私のおばあちゃんは、
そーーーっと、わたしの側にいて
そっとアドバイスをしてくれる。
私が自然に気付いたように思うことも
きっと、おばあちゃんが、そっと知らせてくれた
ことなんだろうなぁと思う。
おばあちゃんが私に向けて遺したメッセージに
『いつも側にいるからね。
ジャマだとおもったら、あっちにいってって
いっていいからね』
って書いてあった。
絶対に、そんなこと言わないから、
ずっとずっとずっと、
側にいて見守って、
そっとそっと
アドバイスしてね。
大好きだよ、おばあちゃん。
本当にありがとう。
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