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ひらめの刺身

 私は小学校四年生。秋だったか冬だったか、吹き降りが激しい嵐のような夜でした。父親の帰りが遅く、なんとはない不安に寝そびれて、いつになく遅くまでテレビを見ていたのです。もの悲しい音楽が流れ、「日本の素顔 奇病のかげに」というそのドキュメンタリー番組は始まりました。
 タイトルバックに一人の老人の横顔がシルエットで写り、コップの水を口元に運ぼうとするのですが、ひどく手が震えてしきりと水がこぼれるのです。これが、水俣病を広く世の中に知らせることになった番組だったのでした。酔っ払いのようにふらつく足、視野狭窄などの症状が語られたことを、異様によく覚えています。
 そして、「水俣の浜辺では、猫がしばしば狂い死にをするのです」……私はその後、「日本の素顔」のテーマ音楽を聴くと、もがきまわる猫の映像を思い出し、テレビのある部屋から飛び出してふとんをひっかぶってしまうのでした。

 ところでその番組、こんなふうに語りが入ったように思います。
 「水俣の人々は貧しいので魚ばかり食べた。母親たちは自分はあまり食べずに子供たちに食べさせた。それが子供が多く発病し、母親に比較的発病が少なかった理由と思われる」
 子供が多く発病し母親たちが症状が軽かったのは、胎児に水銀が濃縮されてしまったからなのです。その事実がわかったのはもう少しあとになってからでした。

 ともあれ「人々は貧しいので魚ばかり食べた」というのを私は疑問も持たずに聞きました。物流が今ほど発達していない当時、東京の魚はまずかったのです。煮つけも焼き魚も子供だから嫌いでした。刺身もたまには食べましたが、マグロかハマチかイカしかないのです。
 九州に来てから魚のおいしいのにおどろきました。
 「ひらめが刺身になるんですか!」
 「さばの刺身なんて大丈夫なんですか」
 私はそんなことを言って、グルメの先生に笑われました。その先生のおごりで、活魚で有名な小料理屋で感激しながらひらめの刺身を食べていたら、隣に座っていた若い女性が、「生意気と思われるかも知れませんが、私は下関の漁師の家に生まれたので、もっとおいしい魚を食べて育ったんです」

 そう、釣ったばかりの魚はもっとおいしいにちがいありません。私は「日本の素顔」の製作者の考えちがいに気がつきました。水俣の人々は貧しいから魚しか食べられなかったのではない、魚がおいしいから食べたのです。
 「水俣の人たちは貧しいが、豊かで新鮮な魚をたっぷり食べる、ささやかな権利をもっていたのである……一本釣は朝五時ごろからタチウオ釣に出かけ、八時ごろ帰って、一番大きなのを刺身にして一ぱいやる。午後一時ごろからイイダコ釣に行き、三時ごろに帰って、これを酢ダコにしてまた食べる……といったふうに楽しみながら生計を立てていた。」

原田正純「水俣病」(岩波新書)

 胎児性水俣病の解明に取り組んだ原田正純先生も、水俣病患者の魂の訴えをルポした石牟礼道子さんも、彼女の共同作業者の渡辺京二さんも亡くなってしまいました。でも関連の訴訟は、国が異議をとなえたためまだ続いています。水俣病はまだ解決に至っていないのです。

 「日本の素顔 奇病のかげに」は、今もNHKのアーカイブで見ることができます。でも、「水俣の人々は貧しいので魚ばかり食べた」というくだりは削除されています。まあ当然でしょうけどね。


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