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祇園精舎の鐘の声

 私の父は床屋の長男でした。でもあとは継がずに設計の仕事をしたのです。床屋は次男が継ぎました。お正月などにおばあちゃんの家に行くと、私は床屋の店先に行ってそこにあるマンガに読みふけりました。「少年画報」がいっぱいあったのです。赤胴鈴之助やまぼろし探偵などの連載がありました。
 その中に別冊ふろくの「弁慶」というマンガがありました。これがまあ、面白くて面白くて、おばあちゃんにねだってその本をもらって帰り、何度も読んで読むたびに笑いころげたのです。それが手塚治虫のマンガだったのですよ。私は八歳ぐらいでした。手塚治虫を知ったのはこのときだったと思います。
 マンガは「グォーン、グォーン」という鐘の音から始まるのです。
 「祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常のひびきあり」。
 高校生になって古文を習った時、この文章が出て来たのです。「ああ、これなんだあ」と思いました。私が平家物語を原文で読むことに挑戦したのはそういうわけなんです。

 マンガでは、
 たいらの山盛やまもりとかいうおじさん(もちろん架空の人物)が出て来て、
 「京の五条の橋の上、大の男のくせものが、わしの刀を取ったんじゃ」とか言うし(途中まで童謡の歌詞ですよね)、
 弁慶が遮那しゃなおう(牛若丸)と対戦する場面では、
 「すばしっこい奴だ」
 「ぼくは鞍馬天狗にはやわざをならったんだもの」
 「さては遮那王とはまっかないつわり、杉作少年であろう」
 実は当時の私はこれがギャグだとわかりませんでした。母親がしきりと、「時代がちがうのよ、時代が」と言ったのですが。

 しかし、義経が鵯越ひよどりごえを前にして、「ナポレオンは言った、わが辞書には不可能の文字はない、そしてアルプス越えをした」と言う場面では、かたわらの武士が、「いまどきナポレオンが生まれているもんかい」とつぶやき、時代錯誤の話だとわかったのですが。中学生になって歴史でナポレオンを知った時、なんだ辞書を編纂した学者ではなくて、戦争をした人なのかと思ったものです。
 余談になりますが、ナポレオンのこの言葉は実は、「不可能という言葉はフランス語ではない」と言うのだそうです。Impossibleという言葉はラテン語から来ています。ナポレオンは、「兵士諸君、不可能という言葉は我々の言葉ではない」と言って部下たちを鼓舞したわけなのです。

 ところでこの鵯越の場面に、手塚太郎光盛てづかたろうみつもりという武士が登場します。よろい姿にみ烏帽子なのに、だんご鼻にメガネをかけた手塚治虫さんの顔をして。のちに平家物語を読んだら、ちゃんと手塚太郎光盛が出てくるのです。「ほんとにいるんだあ」と、そこでまた笑ったものでした。
 この手塚太郎光盛、手塚治虫さんのご先祖なんだそうです。治虫さんの曽祖父、幕末の医師で蘭学者の手塚良庵は、適塾てきじゅくで福沢諭吉と共に学び、「福翁自伝」にも出てくる人ですが、この人が、先祖は手塚太郎光盛だと言っていたそうです。ほんとかな?

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