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実盛

 「赤旗百件配っちょります」
 というのが自慢の元気な七十代。インスリン治療をしながら定期通院中。
 ある日、あるかなきかの白髪を黒々と染めてあらわれました。
 「あら、どうしたんですか?」
 「いやそれがですなあ」
  数日前若者の集団に襲われ、新聞を投げ散らされたり踏みつけられたりしたそうです。体にはさしたる暴力は受けなかったそうですが。
 「年寄りとなめられてはいけんと思ってですなあ」
 それで髪を染めたとのこと。「別当実盛べっとうさねもりですね」と言いたくてしかたありませんでした。
 
 斎藤別当実盛は平家物語に登場する武士です。もとは源義朝(頼朝・義経の父)の配下でしたが、義朝が平治の乱で非業の死を遂げたあと平宗盛につかえ、平維盛のもとで戦いました。源氏を裏切って平家方についたということではないのです。保元平治の乱では、源氏も平家も親兄弟、叔父甥が敵味方に分かれて争ったのですから。勢力のあるものにつく、それが当時の武士の習いでした。
 この実盛、 維盛が木曽義仲に惨敗した加賀の国篠原の戦いで戦死しました。討ち取ったのはあの手塚太郎光盛てづかたろうみつもり。手塚治虫先生のご先祖です。手塚は義仲の前にその首を持参しました。
 「これは斎藤別当ではないか。しかし自分が幼い目で見た時には胡麻塩ごましお頭であった。今は七十を過ぎて白髪になっているだろうに、鬢髭びんひげの黒いはいかに?」
 実盛に親しかった武士を呼ぶと、「あな無惨」と涙を流して、
「斎藤別当が常に言うことには、六十を越えていくさに出る時には、鬢髭びんひげを黒く染めて若やごうと思う、若殿わかとのばらと争って先を駆けるも大人げなし、また老い武者と侮られるのもくちおしいと申していましたが、まことに染めているのでしょう」
 そこで首を洗わせてみると、たしかに白髪になったのでした。
 義仲が、源氏の身内同士の争いで父を討たれて孤児になった時、実盛はひそかに保護して乳母の里に送り届けたのでした。命の恩人を心ならずも敵として討ち取ってしまったのです。義仲の涙に周囲の武士たちも誘われて涙したのでした。

 石川県小松市多太ただ神社には、その時義仲が奉納した実盛のかぶとと言われるものが所蔵されています。芭蕉が奥の細道で、
 むざんやな かぶとの下のきりぎりす
 と詠んだのはこの兜のことです。

 ところで手塚太郎光盛は木曽義仲の配下でした。敗走する義仲に最後までつき従って戦死した四騎のうちの一人と言われます。あるいは生き延びて、義仲の遺児を守り育て、義仲の菩提をとむらって余生を送ったとも言われます。すると鵯越ひよどりごえで、義経のかたわらにいたはずはありませんね。
 マンガ「弁慶」では木曽義仲は登場しません。手塚治虫さんは、自分の御先祖をどこかで登場させたかったのでしょう。


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