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 慣用句

 大わらわ
 ニュースでアナウンサーが言いますね、「人々が祭りの準備で大わらわです」
 この言葉、もとはどういう意味なのだろうといつも思っていました。それが、見つけたのです。平家物語、一の谷の合戦の一場面です。
 源氏方の梶原源太かじわらげんた景季かげすえが、「馬をも射させて(射られて)徒立かちだちになり、かぶとをもうち落とされて、大わらわに戦いなって」いるところへ、父の梶原景時が、「源太討たすなものども、景季討たすなつづけや」と駆けつけてくるのです。
 わらわは幼い子供のこと、わらわ髪とはおかっぱ頭のことです。武士はいくさの時、兜をかぶるためにまげをといて髪を下げる、それを大わらわというのです。その髪を振り乱して戦う乱戦のさまを言うのでした。
 この時代、月代さかやきは剃っていませんからね。
 
 目からウロコ
 このごろよく使われる言葉ですが、これはなんと、聖書からきているのです。ご存知でした? 
 使徒行伝。イエスの死後、その教えを広めようとする弟子たちを迫害したのが、熱心なユダヤ教徒のサウロでした。ある日、弟子たちを捕縛し殺害するために、息をはずませていそいでいた道で、天から光がさし、イエスの声を聞き、目が見えなくなってしまうのです。手を引かれて旅を続け、やはりイエスの声を聞いた弟子のひとりに会います。その弟子がサウロの上に手を置くと、「目からウロコのようなものが落ちて、見えるようになった」
 その後サウロは名をパウロと改め、イエスの教えを広めて歩き、ついに殉教するのです。
 カラヴァッジオの名高い絵では、落馬して地に倒れた若いサウロの閉じた瞼に、神の光が射しています。
 
 藪の中
 大企業や政治家の不祥事などで、関係者の証言がくいちがう時、ニュースでは言います、「真相は藪の中です」
 これを聞くとちょっとうれしくなります。芥川龍之介の「藪の中」は何度も読みましたから。慣用句といえば中国の故事が普通なのに、近代の小説の題が慣用句になっているのですから。
 それは旅の夫婦が盗賊にだまされて藪の中に連れこまれ、妻は犯され夫は殺される物語です。夫の死体を見つけた木こりの証言から始まり、捕えられた盗賊は自分が夫を殺したと言い、妻ははずかしめをうけたので夫を殺して自分も死のうと思って死にそこねたと言い、巫女に呼び出された夫の死霊は、恥じて自ら死んだのだと言うのです。真相はわからないまま物語は終わります。
 黒沢明の「羅生門」では、殺害現場を目撃した木こり(志村喬)の証言から真相が明らかになる話がつけくわえられています。三船敏郎の盗賊、京マチ子の凌辱される女、森雅之の苦悩する夫、どれも迫真の演技でしたね。

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