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まるで思い出さなくなるまで

故郷の静岡で暮らした時間よりも、東京で暮らした時間のほうが長くなった。そして上京してから随分と引っ越しをした。玄関を入れば全てが見渡せる小さなワンルームもあれば、やたら廊下ばかりが長い都心の1DKもあった。牧歌的なコーポにも住んだし、瀟洒な分譲マンションにも住んだ。古き良き時代の香り漂うヴィンテージマンションも楽しかったし、大家さんの家の一部みたいな昭和の住まいも味わい深かった。日が当たらない雑居ビルでは布団がかびた。変形の間取りでの生活はどこか、おままごとみたいだった。歓楽街の奥にある小さなマンションでは、下階のイタリアンからいつもにんにくの匂いが漂ってきて目が覚めた。ランチタイムの仕込みが始まるのだ。

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「あの物件にしたらどうだったか、とか全然考えたことがないねえ」

ある夜、外出先からの帰路でパートナーがふとつぶやいた。お気に入りの店でコーヒー豆を焼いてもらい、カフェで思う存分読書をし、夕飯の材料を買って、ふと目を上げたら夜空に自分たちのマンションの灯りが浮かんでいたという平凡な冬の夜。住んで半年、我々は今の住まいを完璧に気に入っていた。間取りから住み心地、立地に至るまですべて。決めるまでに5〜6軒は見て回ったのだが、どれもスッキリ決めきれないなかで、一発OKだと思ったのが今の住まいである。ひとつ前の物件も良くはあった。でも、思い出しもしない。あそこだったらどんな生活だったのだろうとか、まるで考えることがないのだ。それは、パートナーも同様であるようだった。「本当に良いなと思えるものを選ぶと、ほかの選択肢なんてまるで思い出さなくなるんだね」そうつぶやく様子を見て、良かったと思った。

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あのときああしていたら、うまくいったんだろうか。心のなかにある「終わったことの箱」が、ときどき開いてしまうことがある。たいていは、その物事に関するニュースを予期せず見たときだ。日産の車とか、ウェスティンホテル東京とか、表参道の交差点とか。もし、あれこれ思いを巡らせることなく行動していたら変わったんだろうか。もし、Noと言ったら別の未来があったんだろうか。もし――

かつてのように、「もし」から続くあれこれを、後悔として思い出すことはなくなった。仮に「人生をあの瞬間からやり直せるとしたら、どうする?」と問われたら、私はどの過去も選ばない。今がベストだと思っているから。それでもときどき、思い出がフラッシュバックしてくる。「もし」が頭をよぎる。

それが悪いこととは思わない。人間の心は不動産よりも複雑だから、単純に割り切れるはずもない。さまざまな心模様を一生懸命に味わい尽くしたからこそ、複雑な思い出を持ち得たのだ。後悔なんてあって当然だし、ないことが素晴らしいわけでもない。ただ私がすべきこと――いや、できること――は、これからも自分がベストと思うことを、選び続けることだ。次の打ち手を考えることだ。自分と、自分が幸せにすると決めた人のために。

過去なくして今の自分はない。その過去と地続きの今を生きるなかで、一瞬一瞬を妥協なく選択し続けることが、愚かさや惨めさを経験したことの唯一の価値なのではないかと思う。涙も苦しみも、価値に変えることができるのは自分だけだ。自分以外の誰かがそうしてくれるわけじゃない。だから私は、未来を選択し続ける。どんな小さなことでも。ときに失敗はあるにしても、たまに適当な選択をしちゃったりしても、選択する意思を持つことをやめない。死ぬ間際に、今の住まいを思うように「この人生でよかった。完璧だった」と言えるように。そうすることで、決して立派でも正しくもなかった軌跡を価値あるものに近づけていけたらと思う。今の住まいを選択できたのだから、きっと大丈夫。


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