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推し映画28-「フェアウェル」について

ルル・ワン監督作品「フェアウェル」は私にとって、ちょっと特別な映画になりました。他の作品と同じフィールドには置けないなと感じています。主人公と祖母の関係性に、自分自身を重ねすぎてしまったからです。
オークワフィナ演じる主人公ビリーと、その祖母ナイナイが、まるで私と、今は亡き祖母の関係のようで、鑑賞中もずっと不思議な気分でした。一番愛していたし、愛されていた自覚があったから、感情移入してしまい、まるで自分の映画みたいだな…と思っていました。


「フェアウェル」について

日本では当初、2020年4月公開予定でした。上映前の予告編を観ただけで「観ねば」とムビチケを買い、以来ずっと公開を心待ちにしていました。やっと観れた今、感無量です。

【STORY】 NYに暮らすビリーと家族は、ガンで余命3ヶ月と宣告された祖母ナイナイに最後に会うために中国へ帰郷する。家族は、病のことを本人に悟られないように、集まる口実として、いとこの結婚式をでっちあげる。ちゃんと真実を伝えるべきだと訴えるビリーと、悲しませたくないと反対する家族。葛藤の中で過ごす数日間、うまくいかない人生に悩んでいたビリーは、逆にナイナイから生きる力を受け取っていく。
思いつめたビリーは、母に中国に残ってナイナイの世話をしたいと相談するが、「誰も喜ばないわ」と止められる。様々な感情が爆発したビリーは、幼い頃、ナイナイと離れて知らない土地へ渡り、いかに寂しく不安だったかを涙ながらに母に訴えるのだった。
家族でぶつかったり、慰め合ったりしながら、とうとう結婚式の日を迎える。果たして、一世一代の嘘がばれることなく、無事に式を終えることはできるのか?だが、いくつものハプニングがまだ、彼らを待ち受けていた──。
帰国の朝、彼女たちが選んだ答えとは?
(公式サイトより)

主人公は「オーシャンズ8」「クレイジー・リッチ!」のオークワフィナ。ゴールデン・グローブ賞でアジア人初の主演女優賞を受賞したとのこと、素晴らしい!

ジャンル的にコメディと評しているサイトを見かけましたが、私的にはヒューマンドラマかなと感じました。笑えるシーンは幾つかあったけれど。冒頭に“実際にあった嘘”に基づく物語…とテロップ表示されて驚きました。ルル・ワン監督の“実話”だそうです。

鑑賞中、ずっと泣いていました。けれど、予告編を観た時に想像していたような「感動!泣ける!」という涙ではありませんでした。その場でぶわっと泣きまくるけど、劇場を出て暫くしたら忘れる…ようなのではなくて。なんだか、じわじわと。

劇場を出た後も、ずっとひとつひとつの言葉や表情を噛み締めて、そこに自分の思い出も絡んできて、じわじわと心が温かくなるような。ずっと心の中に置いておきたくなる映画でした。

言うか、言わないか

※以降、物語の核心に触れることを書いています。これから映画を観る予定の方は、避けていただければ幸いです。

大好きなナイナイが末期の癌で余命わずか。集まった家族たちは皆、真実を隠すと決めて、ビリーにも「絶対に言わないように」と念を押してきます。ビリーはずっと、終盤近くまで、「ナイナイに本当のことを言うか、言わないか」を迷っていたように見えました。

中国では、こういった場合は「本人に言わない」のが常識。ビリーが住むアメリカでは「言わないと罪になる」。日本の常識は、今では、アメリカ寄りですね。

登場する人々すべての行動規範が「おばあちゃんの為に」と愛で溢れていて、でもそれぞれ違う背景や想いを持っていて、軋轢や悩ましさも生まれる。多様だから、深い。

もし私だったら、多分言わないな…と思って観ていました。常識的には言うべきだと思うけれど(そして実際、医師も本人に告知するのでしょうけど)もし、2年前の春に亡くなった祖母が、ナイナイのような状態になったら。同じようなシチュエーションになったら。言えなかったと思います。それが正しいとは思わないけど。

作中の台詞にもありましたが、「病気が人を殺すのではなく、絶望が人を殺す」ことを心配してしまう。残された時間が短いほど、それを乗り越えるのは並大抵のことじゃないと思うから、それが心配で言えないんじゃないかと。

思えば、うちの一族は“心配して”重大なことを言わない傾向があります。祖母が退院まで3ヶ月かかる骨折をした時も。母が、膵臓がんの難しい手術を隠そうとした時も。伯父が胃がんであることを半年も隠していた時も。「なんで言わないの!」と怒りはするのですが、「心配させたくなくて言えなかった」家族の気持ちも、わかる。正しいことじゃなくても、そうしてしまう気持ちはよくわかる。

葛藤しながらも、ナイナイと過ごすうち、心から笑える瞬間がたくさん生まれてきて、言わない方がいいこともある…とビリーの心が落ち着く感じが伝わってきたように思いました。そして、ビリーや家族、旧友と楽しく過ごすナイナイの笑顔。

言うのか、言わないのか。余命わずかな人の傍に居るのか、居ないのか。本当に難しい問題です。でもナイナイが言っていたように「何を成し遂げたかじゃなくて、どう生きたかが大事」なのだから、その時、その一瞬ずつを大事にしたら良いんじゃないかと思います。

言わずにいることで、曇りない笑顔で過ごせた時間が生まれるなら、それもひとつの正解じゃないかと思うのです。大切な人たちと笑顔で過ごす時間には、人を強くする力が絶対にある。私はそれを知っています。

私は祖母が逝ってしまって本当に辛かったけれど、亡くなるつい半月前まで、めいっぱい笑顔で過ごせて、大切な記憶をたくさん作ることができて、本当によかったと思っています。亡くなる前日にも、電話で話せてよかった。寂しい気持ちにさせずにいられてよかったと思っています。

だから、“正しいこと”が、すべて良いことだとは、どうしても思えないのです。隠されていたら、間違いなく、怒るのだけど。

“帰る”場所

30歳になっても希望する職業に就けず、アメリカでの生活に四苦八苦しているビリーがナイナイの傍で暮らそうか…と逡巡するシーンも凄くリアルでした。

長春が故郷なのに、幼い頃に離れてアメリカに移住したから、中国語が覚束なくて、「中国に残りたい」と言ってもあまり現実的じゃない。言葉はどうする、仕事は、生活はどうする?想いだけで行動できないリアルさと、彼女の“故郷(中国)が遠い”寄るべなさが切なかったです。

生前の伯父から「(祖母の為に)地元に帰ってきて暮らせばいいのに」と言われたことを思い出しました。そうせずに毎日メールして、頻繁に電話して、帰省しては笑って過ごしました。伯父の言葉通りにすればよかったなと思う一方で、ああいう日々が送れて、笑顔で居させることができて良かったのだと、いまは納得しています。

だからビリーの選択は、すごく、わかります。こういう選択と迷いって、日本でもたくさんの人が悩み、苦しむ問題なんですよね。ケースバイケースでしょうけど、どんな選択をしても、その時ベストだと思う道を選べたら幸せだと思います。



印象的なシーン

ストーリーは本当にシンプルなのですが、登場人物の多様さや奥行きの深さ。美しい音楽と美しい映像が、この映画を印象的なものにしています。

美しいシーンが、たくさんありました。おばあちゃんの家があった公園。窓辺のおじいちゃんの幻と、消え去った後に残る煙草の煙。ナイナイ以外はどこか複雑な顔の集合写真。ラストのナイナイの姿。

そういう意味では、もっとコメディ要素多めのドタバタ家族劇かなと思ったのだけど、演出が抑え目なのがリアルで、観る側の記憶に寄り添ってくれる感じに仕上がったのかなと思いました。つまり、素晴らしかった。

おばあちゃんが最後、動き出すタクシーを撫でて、追いかけて見送る(たぶん泣いている)姿が、記憶の中の祖母の姿に重なって、めちゃくちゃ泣けた。ビリーのお母さんも泣いてたのが、さらにぐっときました。

ナイナイとオークワフィナがほんと可愛い。早朝に太極拳してる2人がキュートで、1番好きな場面です。

2番目に好きなのは、従兄弟ハオハオをビリーが慰める場面。ずっとハオハオ(ムロツヨシに似ている)が無口で、でも披露宴の余興で飲みすぎて泣き出しちゃって、ビリーが無言で慰める…というシーンです。無言すぎて何を考えているかわからなかったのだけど、そうだよな、わざわざ偽物の花嫁を中国に連れてきて、偽物の結婚式をしよう!って思うくらい、彼もナイナイのことが大好きなんだもんな…と、もらい泣きしてしまいました。

アメリカでは告知しないことは罪。中国で告知しないのが常識で“優しい嘘”と言われる。個人の思いより、集団…家族全員で隠し通すと決めたからそれが最優先される。そんな圧にビリーが悩み、結果“嘘を突き通す”と決めて走り出す場面、素晴らしかったです。

そしてエンドロール。最高でしたね。「フェアウェル」という作品が、何層にも素晴らしい余韻で包まれたような気持ちになりました。できれば何度となく、見返したい映画になりました。

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