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自分の子どもが幸せであって欲しいと願うのであれば…

親だから、カタチはそれぞれで表現方法も違ったとしても、みんな我が子には幸せであって欲しいと心から願っていると思う。

でも色んな人が親になり、それぞれの生い立ちやこれまで生きてきた経験値や関わってきた人の影響や、色んなもので構築されたそれぞれの価値観で親業と向き合う。

それは時に、ズレてしまったり、判断を間違えたりすること、そしてその判断が正解かどうかだって、どこまで行けばわかるのかもわからない、大きな大きな謎とプレッシャーのあるライフワーク。

でも私自身が自分の子育てでのたくさんの失敗や、涙や、壁と出会って、この子育て支援という仕事を通して、たくさんの親子と出会って、関わって、感じたたったひとつこれだけは絶対!と思えることは、自分の子どもだけが幸せである事なんて、絶対に無い!ということ。

我が子への愛情で、目の前がいっぱいになってしまう事も、時には同じ子どもでありながらも、敵にすら見えてしまう子どもの周りの子ども達も。みんなが幸せであって、初めて我が子の幸せも補償されるっていうこと。

どんなに我が子にたっぷりの愛情を注いで、失敗のない子育てを(そんなの無いけど)出来たとしても。その子の周りに、悲しみや憎しみ、不安を抱えて生きなくてはいけない友達が1人居れば、その子の幸せのバランスもどこかで歪みが生まれてしまう。

親ではないから、その誰かまでを100%幸せにしてあげることなんて出来ないけれど、それでももしその子の幸せのタンクが2%しか入っていなかったとしたら、私のあげられる1%なのか2%なのか微々たる愛情が2%を倍の4%にはできるかも知れない。

そして微々たる2%をあげたい!っていう大人がその子の周りに例えば30人居たら、その子は62%幸せタンクに愛が注がれるかも知れない。タンクに穴があいていて、どんどん溢れてしまったとしても、次々2%を注ぎ続けてくれたら、0にはならない。

私は、自分の子どもの周りの友達や、チームメイトや、仕事を通して関わることが可能な子ども達に、少なくとも今日の1%かも知れないし、0.5%かも知れなくてもなんとなく愛を感じてもらえたら良いなぁ…と思う。

だってそれは最終的に、自分の命よりも大切な我が子に回り回って帰ってくる1%だから。そしてそれが大人の役目だから。私自身もたくさんの人の1%や15%や色んな愛情に支えられて大人になったと思うから。その今日誰かにあげられたかも知れない1%は、あげたら無くなるものじゃないし、損するものでも絶対に無い。

みんな、みんな幸せになって欲しい。

私はクリスチャンではないけれど、世界1のベストセラーもこう言っている。

Love is patient, love is kind. It does not envy, it does not boast, it is not proud. It does not dishonor others, it is not self-seeking, it is not easily angered, it keeps no record of wrongs. Love does not delight in evil but rejoices with the truth. It always protects, always trusts, always hopes, always perseveres.

愛は忍耐と思いやり。悪者をみつけるのではなく、信じて大切にすること。犯人探しではなく、寄り添えるそんな大人で居たい。