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第38話 エポックで働きながら手当て会を続ける

息子が高校に入る時、高校の近くのアパートを借りて2人で暮らしていた。

私は当時、地域支援センターエポックに勤務。エポックはフレックスタイム制だったので、自由な私の性格にはとても合っていた。例えば目の見えない人や、車椅子生活をしている人を車で迎えに行って一緒に過ごす。買い物に行ったり温泉に行ったりいろいろ。その時には相手のニーズを満たす事に努める。他にも、自分では体を動かす事や食事をする事も難しい人の家にも行ってサポートをする日々だった。主に食事やお風呂の介助が多かった。それに加え記録や役所に出す書類作成の事務仕事も役割分担をして運営している職場だった。

この職場で会議らしい会議を頻繁に経験した。話す事が大切で、常に課題について一緒に考えていた。

そんな福祉の仕事をする一方で、私は自宅を開放して定期的に手当て会を開催していた。実践活動である。呼吸法で呼吸を整えてから、実際に順番に一人一人が横になって、皆で手当てをしていくのだが、ただ手を当てていくと、体の冷えや滞りを感じたり、感情的な問題に行きつく時もある。それが緩んでいって楽になったり、解放される時、私たちは喜びを感じた。繰り返しみんなでする事で、そこには安心信頼のコミュニティが生まれた。そのうち参加者同士が仲良くなって、ご飯を持ち寄って食べたり、味噌作りしたり、共に遊び共に学んだ。

ここで何故手当て会を続けていたのか?分かりやすいように、改善された人の例を挙げます。興味あればお読み下さい。

①美容師の女性、顔面神経痛でお店の過度の冷房や、パーマ液やカラー、シャンプーなどの薬剤による健康被害で悩まれて来られる。気を通して、自己の手当ての手順をお伝えした。それから薬剤などの浄化法もお伝えする。顔面神経痛はすぐにおさまった。それから彼女は10年近く手当て会に参加。現在は独立して、訪問での仕事に切り替えられている。

②ピアニストの男性。背中の痛みに加え、動悸や呼吸の苦しさを訴えて来られた。気を通して、自己の手当ての手順や、場の浄化法をお伝えした。次の日に「山口さん酷い動悸がします。どうしたらいいですか?」と電話があったが「好転反応なのでそのまま落ち着いて手当てを続けて下さい」と伝えた。その時、徐々に動悸は治まり、その後痛みや苦しさの症状も減ったとの事。性格も明るくなった。

この頃の経験が土台となって、体や心に対する理解は深まり続けている。

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