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3/6 ありがとうバースデー

どうも。また一つ年を重ねてしまった事に「嫌だなぁ」以外の感想が出てこないmakedogです。

でも誕生日自体は嫌じゃないですよ。今日は会社も休みましたし、帰省して我が家の愛猫にも会えたので、今日という日を好ましく思って居ないわけではありません。まあ二度寝してから目覚めたのが昼前というのは少し落ち込みましたが、それくらいです。

でも冷静に考えてみれば誕生日なんて何の節目にもならない筈なんですよね。自分の産まれた日。たったそれだけなのに何がそんなにありがたいのでしょうか。「この日まで一年生きてきた」と言っても別に明日生きられるとは限らないし、祝い事をしたいだけなら毎日をお祝いにするといいと思います。それくらい全てを祝福しながら生きていった方が楽しいでしょう、きっと。

まあ、人間は無理やりにでもそういう節目を与えてあげる必要があるとは思いますが。自分のことを特別だと思える日ですから。自尊心が満たされるのでしょう。でも、そんな事でいいのでしょうか。

充分誕生日を味わった人間が言うことでは無いし上手くは言えないのですが、誕生日なんてどうでも良くなるほどに何かに満たされている方が、自分として生きられるんじゃないでしょうか。

勿論、誕生日を祝う余裕がある人や自分よりも自分の周りの環境が好きで、そんな大切な人達から祝って貰えるのが好きな人もいると思うので一概には言えないのですが。

けれどやっぱり、自分の人生を注ぎ込める程のやりたい事がある人は誕生日なんかで祝われていたら駄目だと思うんです。これは人に押し付ける思想では無いとも思いますけどね。でも僕は人間関係を擲ってでも優先したいことがある人はいい人生を送っているのだろうな、なんて思うんです。そして自分の誕生日さえ捨てられる程のやりたい事がある人はきっと美しい人です。

まあ要は、誕生日を棄てられる程にやりたい事がある人はさっさとそれをやるべきだし、そうでない人もそこまで自分を注げる何かを見つけるべきだと思う、という事ですね。

とはいえ僕はまだそこに至っていない訳ですから、どうにかそこまで走っていきたいですね。ですから来年は、誕生日を棄てられるように頑張りたいと思います。

でもやっぱりケーキが美味しいからなんだかんだ祝われてしまうかもしれません。「誕生日なんて自由に棄ててもいい心が大切なんだ」なんて言いながら、プレゼントを嬉しがっているかも。

とりあえず、今日はありがとうバースデー。また会えるかは知らないけど、楽しかったです。

それでは。

※以前から極力常に笑顔でいることを心掛けているのですが、今日は電車の中で女子高生か中学生にガン見されていました。不快そうでも嬉しそうでもない不思議な表情でこちらを見ていましたが、極力笑顔を崩さずにいるとやがて目的地へ着いたのかこちらから目を離して降りてしまいました。何だったのだろうと思い記憶を辿ると、丁度響けユーフォニアムを読み返していた処で視線に気が付いたのを思い出しました。自分の顔をスマホで確認して、なるほどと得心しました。その笑みはとても、人前でお見せできる顔じゃありませんでした。


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