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4/24 じゃがりこと論争

この世にじゃがりこで友人と議論を交わした人間は僕と友人以外にいるでしょうか。まあ話していた内容はじゃがりこじゃなくても替えがきくようなものだったのですが、折角なので思い出して書いてみたいと思います。
珍しいでしょ?じゃがりこでひと悶着あるなんて。

事の始まりは僕がじゃがりこの歌を口ずさんでいたところからです。「じゃがじゃがりこりこ」なんて歌っているとふと思い浮かんだ事がありました。それは、じゃがりこは今齧っているもののみがじゃがりこ足り得るのだから、仮に包装容器を取り払っても商品として成り立つのではないかという、今思い出しても何故その考えに至ったか分からない発想でした。

じゃがりこという商品の大部分はじゃがっとしてりこっとできるあの棒に集約されているはずで、ならじゃがりこに使われている容器は何だってよくて価値がないに等しいものじゃないのかという考えですね。要はじゃがりこはあのおいしい棒のみでじゃがりことして成立するんじゃないかってことです。纏めたはずなのにややこしくなっているような気がしますがそこは流して下さい。

そんな事を思いついた僕はとりあえず友人に話してみることにしました。じゃがりこの容器はもはや商品じゃないと思う、なんて切り出し方で。聞いている側は意味がわからないですよね。ですので考えた過程を説明してから、議論がスタートしました。

議論と言っても友人は論じていませんがね。なにせ日本国の商品の定義を延々と述べてくるんです。包装容器も内容物も商品含めて商品と定義されているからじゃがりこは容器も含めてじゃがりこなんだよ、と。お前はくだらない発見をした子供をたしなめる教師かよ、もっとガキになって食いついてくることは出来ないのか、なんて言ってやりたくなりましたが相手が全面的に正しいことは否定できません。なにせ国の決めた定義ですから。

でも僕はめげません。僕はどうにか「商品としての価値を考えるに、内容物に対しての容器の価値はあまりに低いものではないのか、じゃがりこの棒のみでもじゃがりこはじゃがりことして成立すると言えるのではないか」「そうでないとしても、商品としての容器に価値は少なく、仮に容器を変更したとしてじゃがりこの棒自体の価値は変動せず、購入者はその棒にしか価値を見出していないのではないか」なんて方向に話を持っていこうとしたんです。

まあ結論は完敗でしたけどね。一ミリも分かってもらえなかったし、自分も分かっていませんでしたから敗北以前に議論すらもとより成り立っていなかったとも言えますが。でも最後まで国の定義を押し通そうとした友人には感服しました。もうちょっとこっちに寄り添う姿勢くらい見せてくれたって良いじゃない何だお前協調性0か?なんて言ってやりたいですがまあしょうがないですよね。だって詭弁ですもん。なんせ誤魔化そうとしてますもん。やっぱり嘘でしか無いですもんね。さっき事の始まりは~なんて書きましたがあれが嘘なんですよ。何となく暇になったから誰かと下らないことの意見でも交わそうか、なんて作り出したのがじゃがりこ理論なんです。

結局取り合ってはもらえませんでしたが、もうちょっと定義とか僕たちの価値感について話したかったですね。

どうでした?少しはじゃがりこ理論の言っていることが分からないでもないと思えました?全く意味がわからなかったですか?

もし言っていることが分かった方は寝たほうが良いです。それでも自分は正気であると思える方は僕と語り合いましょう。でも詐欺とかに騙されないように気をつける生活を送ってくださいね。

意味のわからない人はそのままでいいです。純朴なままで居て下さい。あなたは正常です。どうか心を清らかにお過ごしくださいますようわたくしは日々祈っております。

因みに再三書いていますが僕は思い返してみても意味がわかっていません。僕は正常です。

それでは

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