makea_wish

とあるアラサー女の駄文です。 インターネットの海を彷徨っています。

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最近の記事

わたしに残したわたしの人生の時間。卒アルも、日記も捨てた。

生きているのが嫌になった。 今日、明日、明後日、来週が来ても、わたしは笑ってないないだろうし、早く死にたいと思っていると思った。 だから日記を捨てた。 昔から捨てたかった卒アルも、小さく切ってゴミにした。 自分に残す時間を自分で決められるのだと思ったら、気が楽になった。 コーヒーがおいしいし、お酒やパンも心からおいしいと感じる。 死ぬ前に会いたい人はいるだろうかと考えたけど、特に思い浮かばないというか、人に会う気力がもうない。 会って何を話せばいいかわからないし

    • 生きたいのか助かりたいのかわからない

      「死にたい」と検索すると、厚労省のサイトが出てきて、「こころの健康電話相談」等の公的な相談機関に接続します。といった文言とフリーダイヤルの電話が出てくる。 こういった「公的な相談機関」には、相談員を名乗る人がでてきて、最後には「お医者さんにかかってください」と言う。 先日3/1の火曜日、夕方、私は予約外で精神科に行った。 言いたいこと、今の気持ち、自分でもどうしたらいいかわからないことをメモして診察に行った。 待ち時間80分、診察3分。 「今日はどうしました。」

      • 先生、ご無沙汰してます。15年ぶりくらいですかね。

        先生、13歳の時はありがとうございました。 私の初めての精神科医は先生だったんですよ。お元気でしたか? 私ですか? まあぼちぼちですね、 あれからもう15年以上経ちますけれども、先生以外の先生にも何度もお世話になりました。 初めて出してもらったお薬はパキシル でしたかね。 あのあともパキシルにはお世話になりました。 それ以外の薬もたくさんもらいましたし、休職もしました、勿論ノードラッグの時もあったんですが、あまり思い出せないくらい短い期間です。 13歳の時も辛

        • あれほど嫌いな母親だったけど

          今日もiPhoneからベタ打ち、推敲なし、テーマなし、遺書変わり。 毎日死ぬことについて考えているうちに母親に対する感情が少し変化してきた。 私はずっと母親が嫌いだった。憎んでいた。母親のせいでこうなった、産んでくれなくてよかったとずっとずっと思っていた。 結婚しても事後報告くらいでいいし、子どもが産まれても抱いてもらわなくていいと思っていた。 でも最近、自分が死んだ後のことを考えると、少し母親に対して寂しい気持ちやどうしてもっとお互い思いやって過ごせなかったんだろう

        わたしに残したわたしの人生の時間。卒アルも、日記も捨てた。

          具合が悪い

          iPhoneからベタ打ちしてるから許して。 最近本当に具合が悪い。お金のことや、将来のことなど、一旦忘れて目の前のことに打ち込めていたのに、急にポンと何かが頭から外れたように何もできなくなった。 あんなに憎んでいた母親に会いたい。会って謝りたい。産まれてきてごめんなさい。もっと良い子だったら貴方も悩まなかっただろうし私も悩まなかったよね。 お姉ちゃんだって旦那に私を紹介するときに躊躇ったり悩んだり何処まで何を伝えるべきか悩んだだろうし小さい頃は恥でしかなかったと思う。い

          具合が悪い

          ずっと死にたい

          ※推敲もくそもない文章であることをご承知おきください。 私は口癖のように「死にたい」という。 リアルで冗談っぽく言うときもあるし、ツイッターだったら多分200回くらいは「死にたい」とツイートしている。 その度に色々な人からリプライやダイレクトメールをもらった。 死んでは駄目ですよ。 生きてたらいいことありますよ。 何通、そんな反応をもらって、むかついて、面倒くさくなって、ブロックしたか覚えていない。 最初は真面目に返信していた。 「ありがとうございます、心配し

          ずっと死にたい

          反出生主義ではないのだが

          先日、ツイッターであるツイートをみかけた。 このツイートには様々なリプライが飛んでいて、「クソリプの嵐」「これぞツイッターランド」などと揶揄されていたのだが、私はこのツイートに対していわゆる「クソリプ」を送った。 私が幼少のころから言い続けているのは「子どもは親を幸せにするツールではない」ということだ。 私は小学校2,3年生のころ母親に「私は大人になったらあなたみたいな親にはなりたくない。」と言った。 そして平手打ちを食らった。 あれから約15年経ってもそのスタンス

          反出生主義ではないのだが

          日曜日のスーパーが嫌い

          日曜日のスーパーが嫌いだ。 日曜だけは行ってはいけない、とわかっていても、どうしても食材を買わないといけない状況に気づいたとき、ああまたやってしまった。とほとほと自分にうんざりする。 小さいマイバックと財布を持ってスーパーに入るとき、私の背中は多分少し縮んでいる。 30代~40代くらいの夫婦とその子ども達がただ買い物をしているだけなのにその風景を見るだけで吐き気を催しそうになる。 その家族達が私の横を通り過ぎるときに見えるカゴの中身を見て更に私の背中は縮む。 キャベ

          日曜日のスーパーが嫌い