欠損フェチはミロのヴィーナスをどう思ってた?
両腕が無いと言えば「ミロのヴィーナス」であるが、欠損フェチとしてこれをどう思っていたか、という話。
確かに、子供の頃から「ミロのヴィーナス」という両腕のない石像があるという事は知っていた。
ただ、その時点では「壊れてるんだから仕方ない」ぐらいにしか思っていなかった。
しかし、インターネットが発達して以降、ミロのヴィーナスが「両腕が無いからこそ美しい」という見方があるということを知った。
それは、清岡卓行「手の変幻」(講談社文芸文庫)。
冒頭に曰く、「ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、ぼくはふと不思議な思いにとらわれたことがある。」
一通り読み終わって、「そう!その通りなんだよ!」と膝を打ったものだった。
芸術的・文学的観点から「両腕がないことの美しさ」を肯定してもらえた事は非常に力づけられた。
ところでこの清岡氏、満州は大連に生まれ育った頃から野球に造詣が深く、戦後は昭和24年から昭和39年に至るまでプロ野球連盟に奉職し、以下のような実績があるという。
・「猛打賞」を提案。
・メジャーリーグの方式を取り入れ、統一契約書を初めて作成。
・メジャーリーグのフランチャイズ制を取り入れ、セ・リーグのペナントレースを編成。
意外なところで、意外なものがつながった。
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