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余は如何にして欠損フェチとなりし乎

このnoteの主題であるところの「欠損フェチ」について語る時、必ず聞かれる、 避けて通れないテーマが この「なぜ欠損フェチになったのか 」というところであろう。

かれこれ小学校低学年ぐらいの時だっただろうか。
田舎町の洋品店のトルソーの手足がないのに妙にドキッとしたものである。

また、当時は「Dr.スランプ アラレちゃん」人気だった。
何と言ってもアラレちゃんは首が外れるのだ。

これもまた、後年のフェチの萌芽と言っていいだろう。

最近、作者の鳥山明先生が亡くなられたが、亡くなるには まだ 非常に早い御年齢で、誠に惜しいことである。

ともあれ、この辺りが フェチとしての原体験で あったことは確かだ。

40年ぐらい前のインターネット もなかった頃の田舎町とはいえ、どこに異常な嗜好の種が転がっていないとも限らないものである。

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