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「君たちはどう生きるか」感想文-祝福のウンコ-すべてがバレています

公式がそうしているように、なるべく情報を入れずに突然観てほしい映画でした。
期待した世界とは違うかもしれないけど、きっともっと面白いはずだから。
大切な過去と未来がそこにあるような気がしてみてほしい。否応なしに引き摺り込まれてしまってほしい。うきうき買ったチョコチップワッフルと31アイス、予告のうちに食べ終わっておいてよかった!

「この解説を読めばこの作品が“わかる”」
「この動画をインプットしておけば、感想を言ったときにバカにされない。感心される。」
「この文章を読んでおけば話題に取り残されない」

↑こういうのは時間の無駄なので無視した方がいいのではないかと私は思っています。そんなことよりするべきことがある。

取り残されろ。わけわからん感情に包まれて処理に困れ。サラの状態で変なことを言え。「的外れな」解釈をしろ。そうでなければ新しい空間は生まれなくなる。
我々は「わかる」とか「わからない」とかで生まれてきたわけではないし、「わかる」とか「わからない」とかで好きになったり嫌いになったりするわけでもない。映画、すごくきれいだった!

公開前に出されている情報が「タイトルを含む一枚の絵」しかないっていう状況は、この映画に触る上でとてもいい方向に作用していたと思う。どんなに事前に情報を入れたところで、結局すべての作品って見るまではなにもわからない。この世に生まれる前に事前情報は貰えない。

「解説」動画を見て分かった気になってもどうしようもない。それは解説している人の見解であって、作品そのものではない。解説している人にしか会えない。
作品と会ったか・作品の世界に行ったか・みたいなところでいうと全然会えてないし行けてない。「わかった」ところでどうしようもないよ。これは本当に切実な願いとして、人と会った時の感じ方は人の数だけ存在してほしい。そうでなければ生きる甲斐がない。「これはこういう意味・解釈・感じ方が“わかってるやつの”“正解”です」みたいな話の全てがなくなりますように。

「映画そのものの外で、映画をどうこう判断されてしまいかねない」要素をここに置いてしまってもいいのかどうかは迷った。書いて置いておきたいから書いておく。私は私の欲望をきちんと排泄して、体を軽くしていきたい。

※すべてがバレています


●人は死ぬが

ジブリ映画は多分これでもう本当に終わる。
いつか忘れるかもしれないけれど、私はまだその熱を覚えている。
覚えていようがいまいがもうその世界の種は撒かれている。

人は死ぬ。銀河にも泥沼にも寿命がある。すべての世界は終わる。
もう終わってしまう世界と、まだ終わらない世界がここにはある。
世界は産まれて繋がれていく。それが体を軽くするためのウンコだとしても。
そこに種は含まれている。

「宮崎駿監督に出産されてしまった」という気持ちでいる。

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