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『tomorrow明日』

岡崎市中央図書館りぶらの映画会「シネマ・ド・りぶら」に行ってきました。りぶらサポーターズ倶楽部さんがりぶらからの委託を受けて運営をされているとのこと。

今日は8月ということもあり、戦争にまつわる映画「#tomorrow明日」。実はこの映画に決まったのは、私が『tomorrow明日』をぜひということで推薦したのを観てくださり、上映が決定したのです。

私は『tomorrow明日』をほぼ毎年、映画界やDVDを借りて観ているのですが、「最も恐ろしい戦争映画」とご案内しています。
しかし、残虐なシーンも、遺体も、銃声も聞こえない。穏やかな日常生活が淡々と描かれているのです。

一軒の民家で行われる戦時中のささやかな婚礼。そこに集まってくる人たち。花婿は肺湿潤で徴兵検査に不合格の工員中川庄治、花嫁は長崎大学病院の看護士をしている八重。花嫁の八重がなかなか病院から戻らない。妹が柱の時計を見る。その下の日めくりが昨日のまま。破ると8月8日。

そうなのです。
このなんでもない長崎の1日の明日、それは1945年8月9日。
婚礼の最中に産気づく花嫁の姉、彼女の夫も出征していた。

家族の誰かが出征し、恋人に赤紙がきて、呉から戻ると言いながら連絡の取れないあの人に会いに家にいってもあの人の家族に拒まれる。アメリカが上陸してきたら「あの子」が殺されると泣き叫ぶ、「アメリカに殺される前に殺される」障害を持つの子の母の慟哭。
なんの変哲もない「穏やかな日常」にはしっかりと「戦時」という時間が残酷に刻まれつつあった。
そして、夜があける。

残酷にもあの戦争を支えたのは、「霧のように消えてしまった」父や母のような市井にいきる穏やかで慎ましやかな家族が、「出征してお国のために働くのはおめでたいけど、涙がとまらん」と泣き崩れる若者たちを戦地に押し出していたのだ。

りぶらホールにはたくさんの人がきておられて、子どもさんを連れたご家族の姿もちらほら。この子たちはこの映画をどう観ただろうか?
帰りの列の中で「戦争反対!」と突然大きな声を出した男性の言葉が耳に残った。
この子たちに二度と戦地に送り出すことのないよう、私たちは声を上げ続けなくてはならない。
愚直に「戦争反対!」。


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