寛容な都市は素敵ですか?

たまに事務所でボスが何かしらのトークセッションにZOOMで参加してて、たまに盗み聞きしてて、たまにハッとなる。

"寛容な都市になればなるほど、秋葉原や原宿などの個性的な場所は生まれないですね"

どなたが、いつ、なんのイベントで発言したかわからないこの見解は確かにそうだなって思った。
誰かの居心地の悪さが、誰かの居心地の良さなんだという当たり前。みんなにとっての妥協点である都市は、均一的なつまらないものになるんだろうな。
でもそのつまらなさが寛容さの正体かもしれないし、そのつまらなさが多くの人がに求めてることなのかもしれない。いわゆる無難さ。とにかく寛容って言葉が、凄く耳障りの良く使い勝手のよい言葉ゆえ、よく使ってしまうので尚更響いた。

青木淳が三好市の公共事業のときに「みんな」の声を聞こうと市民ワークショップしたら、市民人口の1%以下の人しか集まらなかったとか。1%から導き出された「みんな」のための施設。

都市とか街とかそういうスケールの話、あんまり興味なかったけど深堀したい気持ち。

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