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今の先生になって初めて、病院から逃亡しました

昨日の話。
今の先生になってから、初めて病院から逃げた。
今すぐにでも逃げださないと壊れてしまいそうだった。

一晩ゆっくり考えて、なぜ逃げたくなったのか理由がわかった。

まず診察で
先日この記事に書いた先生と主治医の先生が会ってきたってお話を聞いたのね。
僕はそれが嬉しくてたまらなかったんだけど、でもなんか自分の内側からこう何かが生まれそうな、なんというかこう、、心臓を突き破って何かが出てきそうな感覚があったの。

そしてカウンセリングを受けている最中に自分の内側から聞こえた言葉が
「おかあさん…」だったのね。

それがもう気持ち悪くって気持ち悪くって。

その場に居たくなくなって、逃げたくなって逃げちゃった。
本当はまだそこに居たかったけど、自分では止められなかった。

で、ずっと考えてたんだけど。

僕は亡くなった友人のMとこの前お会いしてくださった先生の関係性を見ていてお母さんと娘みたいなところにも羨ましさを感じていたんだろうなと。
心理士さんは
「同胞葛藤という言葉がね、あるんですよ」と言って、兄妹はうらやましいって思うことが普通で兄妹のように育ってきたのだからそう思って当然なんだよとおっしゃってくださったんだけど。

先生と主治医が繋がったのは僕の大好きな人同士が繋がって本当に嬉しかったんだけど、要は僕はここに自分の母と母の彼氏を投影したんだと思ったんだよ。

そのことに気づいた瞬間
あ〜!あぁ〜!ってなったんだけど、なんかもう恥ずかしすぎて。笑

僕どんだけ主治医のことも、この前お会いしてくださった先生のことも好きなんだよって思っちゃったよね。笑

だけどこれがわかってすごくスッキリした。

でも、また気づきたくなかった自分の気持ちに気がついてしまった。

僕はお母さんが大好きなんですよ。
今も昔も。
だからサッカーをするために高校に行く時も本当は寮のある高校に行きたかったけど、お母さんの元から離れてしまったら今以上に僕の存在が消えてしまうと思って、わざわざ自宅から通学に2時間かかる高校を選んだのね。

いつだってどんな時だって僕はお母さんを守ってきてて、だけど僕のそんな気持ちはお母さんには伝わらなくて。
それに気づいた23歳の時、僕はもうお母さんにお母さんを求めるのをやめて、1人の人として見るようになったのです。
そうやって"子どもから見る母"ではなく、1人の人として、1人の女性として母を見たとき、うちのお母さんはとても大変な人生を歩んできた人だと思いました。

どうして誰もお母さんを助けてくれなかったの?
ってそう思いました。

だって僕が生まれてくるちょっと前に旦那が行方不明になり
僕が生まれたら「あんたには育てられへん」と言われて
実母(僕の祖母)に僕を取られ
お母さんが僕を養うために昼間に働いて得た給料は僕の養育費と言って実家にすべてむしり取られ
実家では僕のことを「このクソガキどうにかせーや」と言われ
家に居場所がなくて、帰ってきたくなくて夜の仕事を始めたんだろうなって。
僕がお母さんが居ない間に実家でボッコボコにされてることが発覚して
お母さんと二人暮らしが始まって
僕を養うために朝から夜まで働いて
お母さんと全く会わない生活が始まったかと思えば
いろいろと大変な出来事が起こり
やっぱりお母さんは大変な人生を歩んできたんだと思う。

どうして誰もお母さんを助けてくれなかったんだろう。

それにもうひとつ贅沢なことを言うと
笑いながらとっくの昔に死んでるぼくにも
気づいてほしかった。

もうね、本当にそんな思いがまたまたまたまた溢れ出てきてしまって。
どうして誰も助けてくれなかったのかなぁとか、いや、助けようとしてくれる人はいたのかもしれへんとか、助けてもらい方がわからなかったのかもしれないとか、頭がぐるぐるぐるぐるしてきてしまった。

どうしたらいいかわからないから
ただただ今は自分のそばに居たいと思う。

この世界から消えてしまわないように。
気を抜いたら消えちゃいそうになるから、いつもより大きく息を吸おうと思う。

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