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寂しさにそっと口づけをしよう

ふと、思い出す夜がある。

今日みたいな寒い夜だった。高校からの帰り道。自転車のペダルに鬱屈や焦燥感を乗せて息を切らしていた。
赤信号で止まった時、暮れの澄んだ空を見上げると、一つの白い光が浮かんでいた。僕はそれを見て、「UFOだ」と思った。もちろんそんな事はなくて、すぐになんでもないただの一番星だと気付いた。
その瞬間、僕は強い寂しさに襲われた。理由は今になっても分からない。泣きたくなった。傍にあった電柱に寄りかかってしばらく呆然としていた。その間に赤信号は二回くらい切り替わって、また夜に不釣り合いな警告色を光らせていた。

寂しさという感情が好きだ。好きで、嫌いだ。嫌いで、好きだ。
寂しいのが嫌で、音楽でその穴を埋めようとする行為も好きで、でも結局そんなもので救われるわけもなくてイヤホンを投げ捨ててうずくまるのも好きだ。大嫌いで、死にたくなって。でも、好きだ。でも、嫌いだ。自己憐憫というのが一番近いのかもしれない。
そういう時は、消えると分かっていてもこの瞬間のこの感情を手放したくないなって思う。何も考えず、絶えず自分を内側から苦しめるそれを大切に抱きしめている。

大人か子供かで言えば大人だと思う。生きたいか死にたいかで言えば死にたいのかなと思う。夏が好きか嫌いかって言われると少し迷うけど嫌いって言うと思う。じゃあ冬が好きか嫌いかって言われると、分からないけど、でも美しいよねって言うと思う。

「美しさ」を想起する時、頭にはいつも冬の夜空が映し出される。
鼻から吸い込んだ張り詰めた空気が、気道と肺を冷たく満たす。世の中の不条理とかどこにも持っていけない気持ちとか、そういうものと一緒に息を吐くと、白息が澄んだ空に昇っていく。深い青みたいな夜空には淡くてちっぽけで弱い、豆電球のフィラメントみたいな星が浮かんでいる。誰かが「星空の綺麗さは、「星空が綺麗だ」と言って終わりにしたい」って言ってたな。最高の小説の書き出しだと思う。
そして、僕はそういう時大抵、美しさや綺麗さを寂しさで例える。

別の誰かが「美しさとは、そこに何もないこと」って言ってた。半分正解で、もう半分は違うと思う。何もないのも綺麗だ。でも、少しネガティブというか、ちょっとくらいマイナスなものがあるといいなと思う。
後悔、切なさ、感傷、悲しさ、別れ、諦め、やりきれなさ、忘れ物、欠乏、過去形、そして寂しさ。人生に転がってる、そういうものばかりを収集して、それを凝固した宝石を作ってみたい。それを人差し指の指輪に嵌めてそっとキスがしたい。少なくとも、夏祭りで1本150円で売っているラムネのビー玉よりは綺麗だと思う。

なんでもないのに美しかったあの日の一番星。宇宙空間で独りぼっちだったのかな。宇宙は寂しいのかな。
三回目の青信号を渡ったあの日の僕へ。大丈夫です。僕はまだ前を向けていません。
無理して渡らなくていいから、星を見上げて、ずっと遠くに行こう。宇宙の果てまで寂しさを追い詰めてやろう。


冬の夜空と、寂しさと美しさと、あなたの横顔と。少し似ている、と思う。
美しいと思ってしまうようなあなたの横顔は、いつだって寂しげだったから。

元気でやってますか。
寒くはないですか。
暖かくしてますか。
あなたのいる街に雪は降りますか。
オリオン座は綺麗ですか。
寂しくはないですか。
僕は少し、ほんの少しだけ寂しいです。


何が言いたいかって、要するにあれだ。
春はあけぼの、夏はあほばか、冬はくそさむだ。

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