Little by little

〝一人よりも二人のほうが 寂しくなるって知らなかったな〟。
一人は苦痛で二人だと寂しくなって、三人になると罪悪感になる。いつまで経ってもそうなのだろう。「ここにいなくてもよかったな」みたいな疎外感とか、「ここにいない方がよかったな」という罪悪感とか。慣れるものじゃないな。
当たり前だけど、自分一人がいなくたって世界は回るわけで、それがある種の救いでもあるけれど。それでも、じゃあそんな世界とどうやって向き合っていけばいいのだろう。一人でもがき苦しんで、誰か為に生きてみたいって。君がいるからこんな世界でも、って。そう言ってみたいのかもしれない。どうせ、望まれない人に「愛してる」なんて言われたところで「それではだめなのです」って言うのが人間のくせにね。

「愛されてんだと自覚しな」。僕の好きな作家の、とある小説のタイトル。千年の恋の行方、この先も続く恋の通過点。やっぱりこの人は、この言葉は八十億の中から自分の為だけにあるんだと思わせる人だ。このタイトルを、この言葉を誰かに言ってもらえた時、僕は何を感じるだろう。救いだろうか。痛みだろうか。

寂しさ、とは違う気がしてる。理由になって欲しいんだ。全部を押し付けたいんだ。ずっとずっと苦しいから。

僕は、君に見つけて欲しい。


最近は割と寂しさに強くなっている気がする。雪が降っても誰かと見たいとかあまり思わないし、寒空に煙草の煙が消えていくのを見ると案外世界は綺麗かもしれないって思うし。関係ないけど、冬が綺麗に思えるのって清潔さと関係してるのかな。冬って清潔な感じしない?
人と話すと、やっぱり致命的にズレてるなって思う。なんか、本当に少しだけ致命的にズレる。なんでだろうって考えて、正解の言葉を探しすぎるせいなのかなって思ったりもして。でもそれだけでも無さそう。なんか、もっと大きな理由がある気がする。それで、会話に失敗する度にああ、またかってなる。他人の言葉を受け入れるような耳は切り落としたい。あ、でも音楽が聴けなくなるのは困る。じゃあ言葉を音にしてしまうような口を切り落としたい。いや、煙草が吸えなくなるのも嫌だな。
なんていうか、この感情は寂しさとは別種なんだろうなって思う。でもこの感情に名前が付いているか分からなくて、寂しさって言っちゃう。寂しさって便利だ。「寂しかった」って言い訳は利便性が高い。

寂しさは好きだ。冬は換気扇の下で煙草を吸うけど、たまにくそ寒いベランダに出てわざわざそこで吸う。寂しくなれるから。

きっとね、結局ね。ここまでの言葉もそうなんだよ。僕は今こんなにも寂しいんだとか、そういう事が言いたいわけじゃないと思うんだよ。君に見て欲しいんだよ。君に読んで欲しいんだよ。君に見つけて欲しいんだよ。
御伽噺の中の王子さまはいつだって白馬に乗ってヒロインに手を差し伸べて。僕もそんな風に見つけられたいのかもね。


やっぱりちょっと怖い。人には人の地獄がある。それは分かってるけど。みんなんとか折り合いを付けてそうで。どこかに非常口の緑色をぼんやりと持ってそうで。あるいは、その人を少しでも心配してくれる「誰か」がいそうで。ラインの友達一覧を見ても、こんな気持ちを吐き出せるような、あるいはたった一言でもネガティブを吐き出せるような人がいない。
分かってる。きっとみんな辛いんだよ。辛そうなアピールしてる奴を見て自分だって辛いって腹立って、そんな自分を見て腹立ててる奴だっていて。
僕だけが一人なわけじゃないって、そんな事は知ってるけど。じゃあ、生きてる人はどうやって生きてるんだろう。誰か教えて欲しい。

僕が「辛い」って吐き出せる人がいたとして。僕を心配してくれる人がいるとして。きっとその人はいい人だから。僕だけを心配してくれてるわけじゃない。もっとたくさんの人を心配するし、もっとたくさんの人に心配される人だろうし。そんな人に迷惑をかけたくない。いや、それ以上に、僕の知らないその人の外側に触れてしまいそうで怖い。

みんな死にたいんだよな。死ぬ直前に後悔してみたいんだよな。いつか来るその日を楽しみにしてような。


「普通の人っていうのはね、君みたいに恋の為だけに一々死んだり生きたりしない人の事を言うんだと思うよ?」。とある人に言われてずっと胸に残っている言葉。なんとなく分かっていた、分かっているふりをしていた。でも本当にそうかなって一回考えてみた。割とみんな恋愛の為に死んだり生きたりしてんじゃねえのって。それで、顔の思い浮かぶ知り合いを数人逡巡して、そんな様子が全く浮かばなくて、あるいは一人一人の地獄があるみたいに、それを僕が見抜けられないだけかもしれなくて。っていうここに至るまでの思考がもう完全に気持ち悪くて仕方ないんだけど。(この人は恋してるのかな)(僕みたいに恋に死んだり生きたりしてんじゃないかな)って。もうほぼ視姦というか性欲丸出しで人を見てる人と同じじゃんね。

みんなどうやって恋してる? 僕はね、恋の為に死にたくて恋の為に生きてみたいのに、人と共にいる事の寂しさ苦しさ痛さに耐えられなくて一人で自問自答だけを繰り返しているよ。

超昔に「嫌われる勇気」って本を読んだ。全ての悩みは自分以外の他人がいて初めて生まれるものだみたいな内容だった気がする。今思い出しても概ねその通りかもなって思う。
人とずっといる事がしんどくて、でも一人になりたくないから最低限はそういうものを持ち合わせていたいと思う。でも、そんな中でも絶対に間違えるし絶対に後悔するしさ。なんだこのクソゲー。

だから多分、恋よりは愛の方がいいのかも。愛は一方的でも許される気がする。なんか、恋よりは崇高で、だから僕の全部をあげるとか簡単に言えちゃう気がする。気がするだけ。気のせい。こんな愛の使い方はただの自慰行為。
でもそれだけじゃあやっぱりどこまでいっても一人だしなあ。愛を持っていたいけど、それとは別で恋をしていたいよなあ。

誰か僕を見つけてくれないかな。誰か僕の事を好きになってくれないかな。あわよくばそれが君であったらいいのにな。僕はこんなにも行き場のない恋を持ち合わせているのにな。こんなにも愛をあげる準備ができているのにな。我儘かな。

兎にも角にも。こんなにも何にもない僕の、数少ない我儘の一つだよ。許して欲しい。誰でもいいから、「愛してる」「愛されてんだって自覚しな」って強く言って欲しい。


ほぼ毎日二時間近く歩きながら、音楽を聴きながら、架空のライブ演出を想像する時間だけが一番の楽しみです。

最近月ノ美兎のお便り企画に採用されて嬉しかったです。

突然無性に家が気持ち悪くなって、数年に一度レベルの大掃除をしました。今一番綺麗です。誰か来てください。


君のいない、自己憐憫でしかない寂しさ。君のいない、どこにでもありふれた死にたさ。君のいない、もがき苦しむような恋しさ。全部全部、僕一人で抱えていくしかないんだろうな。きっと君はいないから。
ガラスの心を割るような勇気なんて僕は持てないだろうけど。君のいない世界の、冬みたいな冷たさと美しさにひしがれる僕に、せめてものの指輪を、そっと。ただの言い訳でただの強がりだけど。

ちょっとずつ、終わりに近づいてるよ。僕の好きな冬も、いつかは終わってしまうんだよ。
少しずつ、少しずつ。little by little ってね。

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