夏風、愛によく似たものを。

どこにだってある話だ。とまとめてしまうには少し勿体ない気もしている。

幼い頃から台風が好きだった。理由は分からない。いや、ほんとは分かってるんだと思う。だからだろうか。傘も持たず外に出て、家の近くにあるブランコをずっと乗り回してみた。ずっとこうしたかった気がする。幼い頃にそうできなかった自分を救っているようで楽しかった。明日くらいにはもっと雨風が強くなるだろうし、もっと楽しくなるんだろう。でももういい。なんだか疲れた。僕の背を押してくれるのは台風の追い風くらいなものだ、なんて謳ってみる。まあ当然向かい風もあるのだけど。

環境も人間関係も変わりつつあるこの頃です。これまでを捨て去ってこれからに目を向ける。人生にはそういう転換期が数度ある。「これまで」に思い残す事は特に無い。とてもネガティブな話だ、思い残したい事すらないのは。そして「これから」にも多分期待できるような事はない。どっちにしても味気ないというか、捨てようか迷っている口内のガムみたいで。関係ないけどガムをちゃんと捨てるお行儀の良い人っているんですか。俺は当たり前みたいに飲み込んでるけど。
ちゃんと人間やってる人しかいないんだもん。ペパーミント味でもブドウ味でもなんでもいいけどさ。ちゃんとガムやってる人だらけだよ。もう何味だったかもあんまり思い出したくないガムみたいな人間にはちょっとしんどい。羨望とかは別にないけど。いや、もしかしたらあるのに気付かないフリをしてるだけかもしれないけど。でもああなりたいとは思わないな。ただ、同じような人と同じように傷を舐めあって生きていたいだけなんだよ。一緒にいるだけでこっちは劣等感とか孤独とかなんかそこら辺と折り合いつけなきゃいけないしさ。
日付変更線みたいなラインがあって、明日側に立ってる人と昨日側に立ってる人がいる。地球が二つあって、僕はぼけっともう一つの地球を眺めてる。僕はただ、同じように昨日側に立ってる人といたいだけ。「あっちの地球は楽しそうだね」「じゃあ行ってみる?」「勘弁してよ」なんて笑いあってみたいだけ。僕と同じくらいの孤独を抱えてる人に隣にいて欲しいだけ。
だって大体の人間って正しいじゃん。俺正しさって大嫌いなんだよ。正しい事だけが正しいわけじゃないって分かるでしょ。道徳の授業で習うわけじゃないけど、その後の休み時間でなんとなく習得していくものでしょ。どうして皆してそんな正しくいられるんだよ。

「どんな人と一緒にいるべきですか?」って訊かれた事があったのを今唐突に思い出した。「一緒にいて自分を嫌いにならない人」って答えた気がする。僕はもうそれを忘れたから。
誰といても、というか誰かといるからどんどんと自分を嫌いになっていくよ。でも一人は寂しいから誰かといたいよ。すっごい自己矛盾。
例えばね、酔った勢いで電話したくなる人とか、そういうのじゃないと思うんだ。何は無くとも何が無くとも、今も多分きっとどこかで、あの人も同じ孤独を生きてるはずなんだって。そう思えるくらいでいいと思うんだ。ただの慰めだけどそれでいいって思いたいじゃん。

「これまで」はもう無くなるものだから、少しずつお別れをしている。やりたかった事やるとか、最後に一回くらい会っとくかって人とご飯食べるとかね。あ、タトゥーいれます。これもやりたかった事。
会ってちゃんと一回お話しすると、「あ、こんな人だったんだ」「もっと話してればよかったな」ってちょっと思う。一番綺麗なお別れの仕方だと思う。さよならの言い方なんて僕も知らないけど、知らないままこのままでいい気がする。まあいいかって、そうやって世界は変わっていくし終わっていくんだろうって思う。

台風が好きなのと世界の終わりを祈るのって多分近似値を取ってるんじゃないかな。
ふと想像する。一週間、いや、一か月は欲しい。一か月後、彗星が落ちてきて世界は終わりますってニュースが流れる。その時僕はどうするんだろう。なんとなく、その時になってようやく僕は報われるんじゃないかなって気がしてる。生きててよかったって思える気がする。とりあえず煙草とお酒は確保しておきたいな。それさえあればあとは大抵どうにかなる。
それからゆっくりと本を読もう。誰にも読まれない遺書を書こう。人生を振り返るように、好きだった曲を聴こう。最後の曲は、走馬灯に流すと決めてるあれを聴こう。エンドロールを流すように、クレジットと映像を映し出そう。こんな時まで存在しない記憶に縋るのか、なんて笑ってしまおう。
こういう時にパッと誰かの顔が思い浮かぶのが健全なのかな。でも僕は最強の受け身人間だから、世界の終わりに会いに来てくれた人を全力で愛してみたいんだ。そういう愛し方しか知らない生き物だから。
どこか見晴らしのいい場所で煙草を吸いながら、あるいは本を読みながら。それもいい。隣にいる誰かと取り留めのない話をしながら。それもいい。夜を裂く線をぼうっと眺めながら終われたらいいな。理想的な世界の終わりについては、それだけで一冊の本になるくらいいつか突き詰めたいですね。
他人のそれが聴きたいな。理想の世界の終わりを描いた物語、音楽はありますか。よかったら教えてください。
追記:一つ好きなのありましたので載せとく


書くまいと思ってたけど暇だし書くか。
本当はいるんですよ、多分。僕と同じ匂いのする人。日付変更線のこっち側の人。同じ地球にいる人。なんていうか恐らく、孤独側の人。あるいはそうであって欲しいという僕の押し付けかもしれないけど。
世界の終わりに僕から声をかけたりはしないけど。でももし、本当に君が僕と同じで、だからこそ君からも声をかけたりする事がなく、交わる事無くそのまま世界が終わってしまったら。それはなんて悲しくて幸せなすれ違いなんだろうとも思うんですよね。
まあ君とももうお別れだから、最後にもう一回くらい会いたいなと思うけど。正しくなんてないさよならを言えたらいいなと思うけど。どうか僕を応援してくれ。向こうはこっち以上にしんどそうなんで。

煙草吸ってきました。

青春について書くか。
これでも僕、本を作ってまして。青春被害者の会っていう本なんですけど。みんなよかったら買ってね。というかこの文章書いてる時点で原稿出してくれた人まだ一人しかいないけど大丈夫かしら。締め切りもうすぐだよお。
思春期特有の焦燥感とか薄っすらとした死にたさとか。それだけで昔は無限に文字を綴れる気がしてたんだ。多分今もやろうと思えばできるんだろうけど、やっぱり少し違うんだろうなって気がしてる。きっと大人になってしまったんだろうな。そういう事が少しずつ増えていく。
昔の僕が一番嫌っていた事だ。今の僕も嫌いであるべきと思っている事だ。でも、少しずつ変わっていくんだろう。嫌な事だ。本当に。
昔の自分を救うように生きてみたい。でも、昔の僕は救われる事なんて望んでいなかった。そして今の僕も救われる事を望んでいない。救われるって事が上手く形容できない。僕の人生の教訓「死にたいとすら思えない人生なら本当に死んだ方がマシ」。ずっと死にたさに縋ってるんだ。死にたさに救われてるんだ。もういいよ、人並みになろうよ、なんて事はあの頃の僕が許してくれないから。
そうだ、ずっとそうだった。あの頃の僕が報われるように。笑顔は似合わないから、面と向かって嫌味ったらしく笑ってやれるように。できるなら、「死にたくてよかったね」って言ってあげられるように。
いつか、なんて言うなよ。前なんか向くなよ。ずっと過去形で生きていくんだよ、俺らは。後ろ向きで歩いていくんだよ。
あの頃の生きづらさをくれ。息苦しさをくれ。動悸をくれ。視界の悪さをくれ。焦燥感をくれ。狭苦しさをくれ。脈動をくれ。破滅願望をくれ。夏の香りをくれ。不条理をくれ。情動をくれ。恋をくれ。涙をくれ。全てをくれよ。それだけでいい気がするんだよ。懐かしさに涙する今この瞬間の、その向こう側に行きたいんだ。
青春がどうとか、どうでもいいんだ。ただどうしようもなく強大なものに傷付けられて、悲しくなりたいんだけなんだ。

生きる意味なんて、そんなの、理想の死に方を探してるだけだよ。
なんて言えるくらいのちっぽけな勇気を持ち合わせていたかったなあ。

一か月くらい前。朝早くから出かけてた。それで日陰に行って、こそこそと煙草を吸ってた。まだ地表が夜の涼しさを手放す直前だった。見上げた青空があんまりにも綺麗で、ふと、これ以上の幸せがあるかと本気で思った。
そういう瞬間を探す旅に出てるような気分になる事が、たまにある。PERFECT DAYSを観た時もそうだった。映画館で涙を流しながら、この先の人生であとどのくらいこんな出会いができるだろうって思った。どれくらいの時間や金や感情を摩耗させたら、またこんな気持ちと再会できるだろうって思った。
思い出せないだけで、そういう瞬間をいくつも見逃してきたのかもしれない。これからもあるんだって期待してみたいけど、そうできるくらいのポジティブさはないなあ。
時々、理由も分からずに涙が出る時ってあるでしょ。それも起因としてあるのかな。脳とか体とか心とか、そういう名前の付いた部位じゃなくて。多分未発見のどこかが何かを受信して、表面張力を破るように涙になって溢れる。本当は理由を探せば答えは出るのかもしれないけど。弱い僕らは答えを望んじゃいない。不透明なままのものにゆっくりと首を絞められていたい。

僕の人生における二大ヒロインがいる。
一人はエルマ。ヨルシカの楽曲に登場する女性。楽曲にも登場するし、そもそもエルマとエイミーの存在が前提で楽曲が作られてもいるから説明がややこしいんだけど。
ヨルシカの聖地として下灘駅という場所がある。愛媛県の海が見える駅。当然エルマもここにいたわけで。いつかここに行ってエルマに会いにいけたらと思っていた。
もう一人のヒロインは真辺由宇。河野裕著「いなくなれ、群青」から始まる階段島シリーズに登場する高校生。これは小説、架空だから聖地と呼べる場所は無いと思う。ファンタジーだから尚更に。
でも現実の話として、能古島っていう場所がある。初めてこの島の景色を見た時は本当に感動した。僕が頭に描いていた階段島シリーズの情景と完璧に一致したから。僕は自分の中で勝手に能古島を階段島シリーズの聖地にした。いつか能古島で真辺由宇と会いたいなと思っていた。
この夏、僕は二人のヒロインと出会った。つまり、下灘駅に行ってエルマに会い、能古島に行って真辺由宇と会った。
思い返すと悪くない夏だったかもしれない。

エルマ、真辺由宇。この二人に限らずだけど、恋だとか愛だとか。僕の中のそれはそういうものに形付けられていったんだろうなと思う。特に愛。どうですか皆さん。愛の価値観は、自分の中から生まれたものですか。外から教えてもらったものですか。

愛についての話をしようよ。いくらでもしよう。たくさんしよう。この先の人生、短いのか長いのか分からないけど。有限のその全てをたったそれだけの事に費やしてしまおう。愛を知る為に、愛について語る為に。いくつもの愛によく似たものの話をしよう。何度だって語り合おう。そうしてその全てを「愛」と呼ぼう。
一々恋の為に死んだり生きたりしてやるよ。愛の為に生きよう。そして愛の為に死のう。それが全部だ。いつだって、いつまでだって。切実に君を求めてやるよ。

煙草の煙と一緒に流れてしまうくらいの軽やかな幸せを。苦しいくらいに焦がれた青春を。そういうものをずっと数えよう。僕らならどこまでだって、世界の終わりまで歩いて行けると信じてみよう。そしてその全部を否定してみよう。何度も否定し続けよう。
お互い同じくらいの、両の手に収まるくらいの。そんな些細な孤独を持ち歩いていよう。ガムの味がなくなるように、いつまでだって孤独を抱き締めていよう。正しくないさよならを探し求めよう。
どこにだってある、愛についての話だ。やっぱりそんな風にまとめてしまおう。

世界で一番大きな心臓を、世界で一番綺麗な場所を、世界で一番大きな片想いを。ぜんぶぜんぶ君にあげるから。君のぜんぶぜんぶ大好きだからね。嘗めるなよ。

台風が渦を描くようにいつまでだって。
台風一過の穏やかで優しい世界のように。
何度だって、愛についての話をしよう。


夏風、さらってくれ。
夏風、僕らの愛をずっとずっと遠くまで。
夏風。なにもかも。


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