世界一美味しい消毒液のようなヤクルトの味

高校時代の文化祭は、クラスでの出し物と部活での出し物をする二つの人に別れた。僕があまり得意ではなかった運動部の人は、文化祭で部活動単位で何かできるわけじゃないから、当然クラスをまとめ上げて楽しそうに何かしてた。何をしていたのかは今でも知らない。
対して、僕が所属していた文芸部のような細々とした文化部は、校内で活動できるタイミングはここしかなかった。大会みたいなものは別だ。そりゃあ結果を残せば表彰くらいはされるけど、ゴミ箱の中身なんて誰も気にしない。運動部が地区予選とかの一試合で一々一喜一憂するのに、僕が全国で活躍しても誰もそんなものに見向きもしなかった。まあ見向きされたいかと言われるとそれもあまり分からないけど。

閑話休題。ともかく、僕は部活の方に忙しくてクラスの方は手出しも見向きも一切しなかった。はっきり言ってクラスが苦手で馴染めていなかったのもある。僕がその時期に登校できていた理由は部活があったからという一点に尽きるから。
文化祭が終わって、片付けをして、さああの入りたくもない教室に戻ろうとなった時、廊下からチラリと室内を見ると、僕以外のクラスメイトがお菓子やアイスを持って打ち上げをしていた。とても楽しそうに。
僕はたまらなくなって、教室には入らず部室へと逃げた。そこで、日が暮れるまで小説を書いた。

そういう想い出を、今日制服姿の高校生を見て思い出した。僕は今日、返却期限日が今日付けのレンタルDVDを返すついでに散歩をした。

最近、メンタルなのか気持ちなのか自分でもよく分からない部分の調子が変だ。情緒不安定と言ってもいいのかもしれない。だから、日が沈みかけている街を歩きながら、どこか自分が自分じゃないような嫌な気分になっていた。

うるさく話しながらすれ違う二人組、人の多い交差点で香った香水の強い香り、遠くから聞こえる誰かの強い感情、人間性が表れたような歩き方をするサラリーマン、コンビニのうんざりするような人の多さ、信号待ちをしていた時の明らかに自分と近い距離まで詰める外国人、少し前までいつものように歩いていた道を歩く不確かな心苦しさ、夜の書店の前を通った時の仄かなな感傷、どうしても借りたかった映画が新作だったけど我慢できなかった弱さ。
そういうものに一々、僕は泣きたくなった。

海に行った。と書きたいけど、衝動で行くには僕の家からは海が遠すぎた。だから、海の見える、海に直結してる割と大きな川沿いに行った。天気が良くて、風が気持ちよくて、遠くの海は綺麗だけど川はそこまで綺麗じゃなくて。あんまり言いたくないけど、ああいいなあ、死にたいなあって思った。
海に行きたい衝動を川で抑えた分、少しだけはみ出した海に行きたい衝動は、僕を川に誘った。気が付いたらそこそこ暗くて、あまり人も見ていないのもあって、川にざぶざぶ入った。ふくらはぎの中間くらいまで濡れた。
しばらくして濡れた脚を引き摺って帰路に着いたけど、そこで僕は我慢できなくなって、傍にあった花壇に座り込んでしまった。少し泣いていたのかもしれない。覚えてない。でも、とにかくその場から動きたくなかった。その頃にはもう完全に日が暮れていて、周りから見ればせいぜい酔っ払い程度にしか見えなかっただろう。まさかこんな所で人が泣いているなんて誰も思わない。いや、そう思いたいだけかもしれない。

しばらくて、肩を叩かれたから顔を上げた。僕の前に、優しそうな笑顔を浮かべるおばあちゃんが立っていた。服装からして、花壇の清掃員なのかもしれない。その人は、「大丈夫?」と言いながら僕にヤクルトを差し出してくれた。

文化祭が終わって教室から逃げ出した後、部室に一人でいたところ、突然部室の扉が乱暴に開かれた。僕の担任兼国語の教科担兼、文芸部の顧問だった。まだ教師になったばかりの若い女教師だ。
彼女は僕を見るなり、どういう経緯でここへ来たかすぐに分かったらしい。溜息をついて、僕に向かってこう言った。

「あんたって寂しがりだよね」

その言葉に僕は深く傷付き、同時になぜか嬉しくもあった。そうか、僕は寂しがりなのかもしれない。彼女の言葉は、今でも心の深いところに残っている。傷跡というか瘡蓋になっている。
彼女は僕を傷付ける一言を吐いた後で、僕にヤクルトを差し出してくれた。それにどういう意図があったのかは知らない。慰めなのか優しさなのか、クラスでの余り物だったのか。まあ余り物だっただろうなと今でも思う。僕は彼女から受け取ったヤクルトをすぐに飲んだ。傷に滲みるような、まるで消毒液のようなあの日のヤクルトは世界一美味しかった。
余談だが、一番彼女に傷付けられた一言はもっと別にある。それもいつかまとめられたらいいなと思う。

おばあちゃんからヤクルトを受け取って、僕は目元を拭い、「大丈夫です。ありがとうございます」と笑った。それでその人もまた笑ってくれたから、ようやく家に帰った。

ヤクルトを一気飲みした後で、この文章を書いている。とりあえず、無駄に金を使ってしまった新作のDVDでも見ようと思う。


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