君の世界に少しでいい

僕の靴跡を。

どれだけ曲を聴いても音楽は好きだし、どれだけ年取ってもブランコが世界一楽しいし、どれだけ生きても人が苦手だし、どれだけ夏を見過ごしても君を求めちゃうし。上手くなれないなあって思う。

言葉にしたい事とか君に伝えたい事はいくらでもあるのに、いつも喉の真下辺りでつっかえる。肺の半分がそれで満たされた時、煙草の煙と一緒にそれを吐き出す。口の中で濾されて、本当に大切なものだけが小さく現れて、結局は行き場を求めて夜の空気で迷子になる。可哀想な僕らのように。そしてそれは時々、涙になってどろどろと零れたりもする。

ふらっと現れてくれないかな、と今でも思う。僕が一人で花火をしていて、薄暗い中に君のシルエットがぼうっと浮かんで。線香花火に火を付けて、たった一本分だけ会話をして。僕か君か、どっちかの火の玉が落ちた時、そこでお別れがしたい。君がいなくなった後で、もっと言いたい事も訊きたい事もあったと、少し後悔したい。

恋の証明はセックスで、愛の終着点はたった紙切れ一枚で。それだけなのかなと考える。
別に何だっていいのだけど。抱きしめるとかキスをするとか手を繋ぐとか名前を呼ぶとか。本当になんでもいいけど、ただ、どこまでいったって寂しさは消えないよ。
そんな事で人は満足してしまえるらしい。凄いなって思う。君はどこにもいなくて、僕の頭の中で笑っていて、僕の全部で。僕はまだ君を知らないでいるのに。

心臓、頭、指先、靴先、足跡、青春、神様、全て。何にだって例えられる。要するに他でもない、君は「僕の君」であって、それ以上の何でもなくて。都合のいい話だなって思うけど。都合はいいけど、どうでもいいとは切り捨てられない。だってまだ、君にさよならしてないから。

生活は苦しい。金はないし本は食えないし煙草は高いし意思に反して心臓は勝手に動くし。何の為に生きてるんだろうって、君がいたらそんな事は考えずに済んだのかな。君を理由にして君を言い訳にして君に全部押し付けて全部君のせいにして。世界はそれを許してくれたのかな。

海に行って、砂浜に素足を落として、ふらふらと人生みたいに歩いて、ふと振り返って。僕の足跡しかない砂浜が、結局世界のような気がした。これが答えだって誰かに言われた気がした。そしてそれは多分、正解だろうなって思った。
今更生まれたくなかったとか死にたいとか、そんな子供じみた事は口の筋肉使ってまで言わないけどさ。いや、たまに言うかもしれないけどさ。
結局何も残らなかったよって。誰の何にもなれなかったよって。つまらない世界だったなって。ざまあないぜって。

「愛されたいのです」「私はあなたを愛しています」「それでは駄目なのです」。そういう風に世界は回ってる節がある。世界全部が、とは言わないけど。でも、学校を一周してしまう程度の大きさの、輪になった片想いがいくつも点在している。

愛は暖かくなんかなくて、冷たいイメージがある。どちらかと言うと粘土くらい固い。足し算じゃなくて引き算みたいな愛。
君の心と僕の心が一つだと思ってたんだ。本当にそうだ。でも違うんだろう。愛は多分、どうしようもないくらい悲しいものだ。偶然にもそれが重なる瞬間が多いだけだ。公倍数みたいな愛をしよう。最小公倍数を最大にしよう。それが重なる瞬間が一番多い人と、一緒にいたいのだろう。そして、僕のそれは多分君じゃなかった。君であって欲しかったけど。どこにもいない君の心なんて、そんな、存在しないものをずっと求めてもがいている。

どこにもなかったんだ。何もなかったんだ。僕が君に遺したかったものはなにも。君ばかりが僕に遺って、ずっと心に揺蕩っていて。僕の靴跡は、君の世界になかった。君の靴跡ばかりが僕の心を踏みつけて、粘土みたいなそれを徐々に形付けていって。そうだ、それが言いたかった。それが愛なんだと言いたかった。言えればよかった。

そっと足先を水面に付けてみた。静かに波紋がひろがっていって、それが収まるまでをずっと眺めていた。そんな夢を見た。
朝起きるとなぜか泣いていて、それを拭った時に君の言葉を思い出した八月の始まりだった。それがもうすぐ終わるらしい。
ずっと夢の中で生きている。その世界で、それでも僕はずっと僕だった。君は君のままだった。いくつ扉を開けてもいくつ星を飛び越えてもいくつ時間を数えてもいくつ歩数が増えても、その先でちゃんと君が笑っていて。それでいいんだって思いたかった。






ごめんね。本当は分かってるんだ。
君がいなくても、僕は一人で生きてしまえるってこと。
君がいなくても、僕は息をしてしまえるってこと。
君がいなくても、僕は歩いてしまえるってこと。

ずっと辛い。苦しい。痛い。涙の止め方はまだ分からないまま。
それでも、君が僕の傍にいてくれた事は一度もなかったから。君がいる世界に僕はいなくて。僕の世界だけが、君をここに繋ぎ止めようとしていて。

愛を見た。見てしまった。
君の靴跡だと思っていたものは、誰のものでもなかった。僕がただ、君を模しただけだ。どこにもいない君を。どこにもない君の靴跡を。
僕の愛は一つだ。心一つだ。全部全部、君にあげたかったものだ。君と一つだと思ってた。本当なんだ。でも、何一つ重なっちゃいなかったんだ。僕らが重なった事なんて、ただの一度もなかったじゃないか。公倍数みたいな愛なんて、そんなの欺瞞だ。最小公倍数みたいな君なんて、ただの花弁だ。涙だ。柔らかな波紋一つだ。そのくらい些細でどうでもいい事だ。

どこにでもある片想いを流し見て、「死にたい」だなんて呟きを鼻で笑って、たった一つの足跡しか残らない砂浜から目を逸らして、乾いてしょうがない目から零れる涙を拭って、まだ淡く光る僕の線香花火にぼうっと映る君のシルエットが遠ざかって、それで夏の終わりに向かう頃。ようやく僕は君を忘れられるかな。誰かの言葉を借りれば、次はちゃんと君を愛せるかなって思えるかな。

上手く言えないんだけど、僕らはきっと違ったんだ。
僕が扉を開けた時、君は別の扉を開けるから。僕が星を飛び越えた時、君は別の星へ飛んでいくから。僕が時間を数えた時、君は数える事を止めてしまうから。僕が歩数を増やした時、君はもっと大きく歩数を増やしてしまうだろうから。

寂しさは消えないよ。後悔は亡くならないよ。分かってるよ。分からないよ。分かりたくないよ。
だから、今すぐじゃなくていい。君の微笑みを忘れて、君は前を向いて、靴跡を残さないままどこかにふらりと消えていって。そのくらい、ゆっくりでいいから。今まで僕らが歩んできた速度くらい、緩やかでいいから。

僕の世界に遺った靴跡は。僕の心を模った君の靴跡は。
いつかちゃんと消えてくれるかな。サラサラの砂浜のそれと気が付いて、風が吹いて簡単に空に消えてくれるかな。煙草の煙みたいに。

きっとこの世界は、この夜は、この人生は。この夢は。
君にさよならを言う為だけのものだ。君にさよなら届ける為だけの僕だ。その為だけに生きてきたんだ。君にさよならを伝える為だけに、僕は君と出会ったんだ。

一つでいい。さよならの言葉一つでいい。
喉の真下、たった一つだけを片手に握りしめて。
いくつもの夏を見過ごす度に君を求めてしまうけど。
右も左も分からない世界だから、左右盲なこの僕だから。
まだもう少しだけ、愛してもいいかな。
君の世界に少しでいい、僕の靴跡を残してもいいかな。

「僕の君」へ。
いつだって、君を憶えている。
どこを探してもいない君を探している。
どこにもいない君を求めている。
君はここにいる。
もう、夏が終わる。
僕の全部は君だった。ちゃんと君だったんだよ。
世界で一番綺麗な場所で、また会おうね。

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