だから、アイラブユーとかクソくらえなんだ

家電量販店みたいな、少しかび臭いような。そんな冷房の風の香りに「あ、夏だな」って感じて、夏にしか聴かないと決めている、花火と君を唄ったありきたりな夏曲を聴いて。

冬を思う時、僕の頭の中にはいつも冬の夜空が広がる。寂しいくらい綺麗な星空と、気道と肺を満たす冷たい空気と。
じゃあ夏を思う時はって考えると、あまり明確なものは無いかもしれない。
例えばそれは、僕が高校時代に学校をサボって時間を無駄遣いした海沿いだったり、あるいは、夏の田舎を舞台にしたライトノベルに憧れて、何かあるかもと、誰かいるかもと期待した山道と神社だったりする。

明日は雨が降るらしい。朝早くに起きて洗濯物を取り込むのも面倒だから、まだ天気は悪くないけど、全部室内に干した。こういう、人間じみた行動というかただの生活が一々苦しくなる。

冷房は付けたけど、濡れた洗濯物のせいで湿度が酷い。〝生活〟に脳のリソースを割くのも面倒くさいから、そのまま窓を開けてやった。これが正しいのかは知らない。

理由も分からないけど、ずっとずっと苦しいんだ。生きている事じゃなくて、生きていく事が苦しい。自由になりたいのに、何から解放されたいのか分からない。救われたいのに、何に苦しめられているのか分からない。肯定したいのに、何に否定されているのか分からない。

海に行く事が増えた。何も求めなくていいからだ。海にいるっていう、それだけの事が全部許してくれる気がする。海に行くっていう、それだけの理由で何も求めなくてもいい気がする。少し苦しいままだけど、それでも、青い鎮痛剤は僕をそっと鈍くしてくれる。


どうしてかは分からないけど、たまに寝苦しい夜がある。そういう時は大抵本を読むか映画を観るかする。中途半端に睡眠時間を取るのは嫌だから、そのまま徹夜する。
今日は何となく音楽を聴いた。耳にイヤホンを挿して、何を聴こうか少し迷って。

タイミングが良かったんだと思う。いや、悪いというべきなのか。
開いていた窓から、乾いた夏の夜風が優しく吹き込んで、冷房とは違った夏の匂いがして。
この曲はピアノが主軸で、歌詞も比較的シンプル。どの曲もそうだけど、この人は原作に夏と第二者を嚙み合わせるのが上手い。
とにかく、嗅覚と聴覚からの夏の情報過多を起こして、処理落ちしてしまった。あ、駄目なやつだと思った時には泣いていた。最近涙脆くなったと常々感じる。

こんな感じだろうか。ここら辺をAI生成にぶち込めばもっと近づけるかもしれない。
この曲の優しさは夏の緑をイメージさせる。そしてきっとそこに、道の先に、彼女がいる。貴方がいる。

たまらなくなって起き上がった。もうどの道眠りにはつけない。だから今はただ、指先が動くがままに委ねている。


曲を聴く時、頭の中には常にイメージがある。言い換えると架空のMVがある。それは多分、曲を創った側の意図とは違うかもしれない。メッセージ性も汲み取って欲しいものも噛み合わないだろう。ほとんど曲の上澄みだけを掬ったようなものだ。でもその分、僕の中では美しい情景として映ってしまう。
美しいものが知りたい。美しいものが創りたい。最近はもっぱらこれだ。どうにしかして、この情動を形にしたい。

例えば。きっとそこは山道だ。道の舗装はされていないけど、草木が生えない直線が道になっている。勾配もない、ただの一本道。顔を上げると、湿度の高い夏風に揺られた木々がさざめいていて、木漏れ日と呼ぶには少し眩し過ぎる陽光が漏れていて。それできっと、僕の数歩先を、君が歩いている。
風姿なんて意味は無いけど、あえて分かりやすくしよう。白いワンピースに麦わら帽子。どこまでも記号的だ。きっとそれがいい。
君はずっと前を向いているんだろう。僕の事なんて意に介さず、ゆったりとした速度で足を進めるのだろう。僕はただそれについていく。
ここはどこなんだろう。このままどこに行くんだろう。そんな事は思いもしない。そんなのは大切じゃない。

一つ、瞬きをする。

君はいない。
顔を上げる。変わらず、刺すような光に目が眩む。
目を瞑る。木擦れの音がする。どこか遠くで鳥の鳴き声がしている。夏の香りがする。
そっと瞼を開き、前を向く。一本道だ。どこまで続いているのか分からない。それ以外に何も無い。誰もいない。
そこでようやく、僕は涙を流す。泣く、ではなく涙を流す。それが正しい。自分でも気付いていないみたいに、それは静かに流れる。君のいない視界に涙が溢れる。表面張力を破って頬を伝う。

またそっと、瞼を閉じる。
朝、眠たそうに眼を擦る君がいる。
美味しそうにご飯を頬張る君がいる。
川に浮かんでいる水鳥を指差す君がいる。
風に髪がなびいて、気持ちよさそうに目を細める君がいる。
車窓の外を憂い目で見つめる君がいる。
瞳に花火を映して、嬉しそうに笑う君がいる。
僕の数歩先、こちらを振り向いて優しく微笑む君がいる。
僕の数歩先、こちらに手を伸ばす君がいる。

瞼を開ける。
視界に溢れた涙の、その向こう側。ぼんやりと、白い影が映っている。影はこちらに手を伸ばした後で、一つ言葉をかける。微笑んでいるような、はにかんでいるような、困ったように笑っているような。そんな表情を浮かべている。
僕はそれに少しだけ笑って応え、そっと手を重ねる。この繋いだ手が、君だという事を僕はよく知っている。
君は手を離さないまま、また前を向いて足を進める。
ここはどこなんだろう。分からない。でも、僕らが行く先は分かっている。だけどそんな事は、やっぱりどうでもよくて。
握る手に少しだけ力を入れて、僕はまた目を瞑る。


面白い小説、創作には見どころとか流行りの伏線回収とか、そういうものが必要らしいけど。本当はそんなものいらないんだ。聴きたくないんだ。
ただ切実に、強い祈りのような。触れたら壊れてしまいそうな。誰の目に留まらなくとも世界の隅っこでそっと点在しているような。そういうものを欲している。
そういうものを存在させたいな。そういうものが存在していても、許されるような優しい世界だといいな。六十億人が無視して通り過ぎたとしても、なんとなく気になった一人が立ち止まってくれるような。それが叶う世界だったらいいのにな。そのくらい、美しい君を描きたいな。

でも、不思議な事にそれとは真逆の感情を抱いている自分もいる。
創作なんてしたくないんだろうな、小説なんか書きたくないんだろうな、創作なんて、世界からなくなればいいのになって。
赦して欲しいのかもしれない。もういいんだよって。こんなにぐちゃぐちゃになってまで、こんなに苦しんでまで小説なんか書かなくていいんだよって。小説なんか書かなくたって、僕という人間の全部全部肯定してあげるから、許してあげるからって。
あるいは、赦して欲しくないのかもしれない。逃げるなって言って欲しいのかもしれない。お前からそれを抜いたら何が残るんだよ、それでもやめたいのかよ。頼むから、死んでくれよって。誰かに強く責めて欲しい。無茶苦茶だ。


秘めた言葉っていいなって思う。いや、そう思いたいだけかもしれない。
言葉にした瞬間、それはちっぽけになったり、腐って見えたり、なんていうか、価値が下がっていく気がする。
だから、どうでもいい話ばかりをする。本当に言いたい事とか伝えたい事が、喉の少し下、鎖骨辺りでふわふわと漂っている。
だって、本当に大切な事とか、本当に美しい事とか、本当に伝えたい事とか、僕がどれだけ君を愛しているかとか。そんなものが、たかが言葉如きで形になってたまるかって思うから。


どうしてピアスなんか開けるんですかって訊かれた。例えばそこで精神的にどうとか、そもそも僕の人生においてとか、そういう理由を並べて説明もできたけど、それを一から言うほど僕も世界において無知じゃなくて、咄嗟にオシャレですよって答えた。

感情としては後悔に近い。ああ、やっちゃったなって、でももうしばらくは大切に引きずらないといけないぞって。そんな、上手く言語化できない感情に依存しているんだと思う。そしてそれは多分、新しい小説を書き上げた時の気持ちとよく似ている。

「真夏の夜の匂いがする」「絵の具のソレと同じ香り」って歌ってた人がいて、僕には当分理解できない感覚だと思う。

別に理解されたいわけじゃないけど、ピアノとカラースプレーのかかったアイスクリームはよく似ていると思う。多幸感というか、チラチラとした星が瞬くような気がする。ピアノの冷たい音色が耳に入る瞬間と、甘くて冷たくて、カラフルなアイスが舌を広がる瞬間。やっぱりよく似てる。


ああ、やっぱり余計な事ばかり口を滑った気がする。だから言葉ってやつは嫌いだ。だから、アイラブユーとか嫌いだ。君が好きだって、ただそれだけなのに。それ以上に君に届けたいものなんて無いのに。
余計なものはいらないんだよ。何度でも言う。何度でも伝えたい。美しいものだけを知りたいんだよ。
言葉にならなくとも、言葉にしたい。形にしたくない、形にしてみたい。
いや、それすら詭弁だ。本当に美しいものの前ではそれすらどうでもいい事だ。
夏風に揺られる木々が見えて、白い光を反射させる黒いピアノがそこにあって、君が優しい表情で、滑らかな手付きでそっとそれを弾いていて。
きっと、夏の匂いがする。


夢を見た。
君を強く抱きしめてた。身長差があるから、僕は中腰になって、君にキスをしようとして。
でも、それは違うと直感的に思った。君の肩に頭を埋めて、君の耳元で「もっと上手くやるから」って掠れた声で呟いた。泣きそうなのを必死に我慢して、女々しいなって自分でも思ってた。
それに対して君が何をしたか、何を言ったか。もう覚えてない。

そういえば、もうすぐ夏なんだ。もう充分に夏かもしれないけど。
君と海に行きたいな。
君と花火がしたいな。
君と花火を見に行きたいな。
君を抱きしめたいな。
君に会いたいな。

貴方だけを憶えている
雲の影が流れて往く
言葉だけが溢れている
想い出は夏風 揺られながら

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