我慢すること について

私は中学生の時、バスケット部に所属していた。もう25年位前の話。

上下関係が現在の部活より厳しいはずで、今思っても本当にくだらないことばかり。

先輩への挨拶は裏声を使う(挨拶だけじゃなく話しかけられた時の返答も裏声!!)、1年生はランニングの後水を飲んではいけない、先輩に話しかけられても「はい(裏声)」としか答えてはいけない...などなど

くだらな過ぎるのだけれど、とりたてて逆らうこともしなかった。その時同期の10人達と、「くだらねー、こんなバカらしいことは私たちが2年生の夏になって先輩が引退したら終わりにしよう。後輩とは普通に話せる様にしなきゃプレイにも支障がでるわー」と話していた。そうやって話すことで、理不尽な1年生という状態を励ましあってたんだと思う。

でも現実は、先輩が引退する直前にやってきた新しい顧問のおかげでくだらない慣習は全てあっという間に撤廃された。

みんな「ああよかった!!」となるのかと思ったら...

「ズルイ!」「私たちの代は損した」「うちらあんなに我慢したのに!」といった不満ばっかりだったのです。

10年後の同窓会でも、そういやうちらの代はほんま損やったわー、と言ってたので、心の底から損したと思っているのだろう、今も。

私はあんまりというか全くわからない感情なんで、不思議に思ってしまう。(下の学年にもへこへこさせたいのなら、最初からそう言っとけばいいのにわざわざ撤廃だ!と言ってたことに対してもやもやと思ってしまう)

大人になってもこんな人たちに出会うことって結構多い様な気がする。自分が我慢したんだから、あなたも我慢しなさい、みたいな。

時と場合によるのだろうけど、基本的に他人の行動についてどうこう言う筋合いはないはずなのに。

それに、他人が幸せなら自分が不幸せになるわけでは無いし、他人が不幸せなら自分が幸せになるわけでは無いのに、と思う。





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