鷹富士茄子謹製カレーを妄想する

突然だが、私はカレーが大好きだ。
最後の晩餐に何を食うかと言われたらカレーと即答するくらい好きだ。
つまり何が言いたいかというと、私は鷹富士茄子の手作りカレーが食べたい

鷹富士茄子の料理技能にかんする描写はそんなに多くない。しかし、とりあえず他人が食えるメシを用意できる人間であることは間違いなさそうなので、カレーを作る技能は持ち合わせていると言って問題ないだろう。(異議のある鷹富士学会員がいたらご連絡ください)

まずは鷹富士茄子がつくるカレーの辛さについて。
これは決まっている。激辛だ。別に鷹富士茄子が激辛が好きだからというわけではない。
単純に筆者である私Pが激辛が好きだから、鷹富士茄子は私に振る舞うカレーに激辛を選ぶ。鷹富士茄子はそういう人間なのだ。これも恋する二人の力ってやつだ。

次に具材。カレーに外せない具材といえば玉ねぎと肉とマッシュルームである。
私はカレーに採用する肉として合挽のミンチを愛用している。普通の肉では神聖なるカレーの食感を妨害するので、私は必ずミンチを選ぶ。合挽なのに特に理由はない。しいて言えば、近所のスーパーで安くておいしいミンチが偶然合挽だったというだけだ。もちろん鷹富士茄子と私の間には恋する二人の力があるので、茄子が作るカレーで玉ねぎと肉(ミンチ)が外れることはない。
マッシュルームにかんしては、私の趣味だ。カレーが魔法みたいにおいしくなる。特に、二日目のカレーが劇的にうまくなる。これは本記事の趣旨とは関係なくマジでオススメなのでカレーの道を邁進する民にはぜひ実践していただきたい。私がここまで薦める以上、茄子は私のためにマッシュルームを用意してくれるのだ。またひとつ恋する二人の力を見せつけちゃったな。
そして忘れてはならないのがクミンだ。クミンはカレーを豊かにする。いや、調理段階を豊かにするといったほうが適切か。とにかく、クミンを抜いてカレーを語ることはできない。スパイスパラダイスでもそう言っていた。採用。
言うまでもないがもちろんルーを忘れるなよ!
ちなみにじゃがいもとにんじんはカレーの味を落とす邪悪な存在なので私はカレーには採用しない。当然のことながら、恋する二人の力が作用するので鷹富士茄子は私に振舞うカレーにこのふたつの巨悪は投入しない。

さて、ここまでは私が鷹富士茄子にリクエストした具材だ。ここに茄子は茄子なりの具材を追加或いは除去することになる。
もちろん茄子が追加する具材は茄子である。茄子が茄子を入れるなんて茄子が茄子って呼ばれていること考えると茄子はないんじゃないか、と思う人がいるかもしれない。しかし、茄子は茄子について茄子への親近感を表明する台詞があるので、茄子が茄子を使うことについて茄子P的には違和感がないのだ。この一連の流れで「かこ」と「なす」をスムーズに読み分けることができた人間はあっぱれだ。
ちなみに私もカレーに茄子を入れたことはあるのだが、まあ普通だった。あってもいいし、なくてもいい。カレーに必須だとは思わないが、「茄子が作ったカレー」という印象をつけるためにあってよいものだと思う。なにより、茄子を使うと茄子が楽しそうに料理するので私も楽しくなる。さらに言えば、私は茄子も大好きだが茄子も大好きなので問題はないのだ。

そんなこんなで具材が揃ったが、本来カレーに必要とされるものがひとつ欠けているのに皆さま気づいただろうか。
そう、高森藍子ちゃんがいないのである
カレーを作るときは高森藍子ちゃんが必要だ、というのはカレー学会の第一人者・日野茜教授の論文に掲載されているので皆さまご存じだろう。なんと、鷹富士茄子の作るカレーには高森藍子ちゃんが必要とされていないのだ。
これには単純明快な答えがある。鷹富士茄子の手作りカレーは私に振舞うためのものであり、要するに恋する二人の力が作用している料理であるという点に尽きる。
いかに藍子ちゃんといえども、この間に割り込むことはできないのである(あくまでも筆者の場合である。それでもカレーには絶対に藍子ちゃんが必要だという学説もあるので、その主張をとられる方は藍子ちゃんを用意しすべきだろう)。

さて、具材が揃ったのでいざカレーを作ろう。
とりあえず適当に具材を切って、まずは玉ねぎを炒める。
目安としては飴色になるまでとよく言うが、とりあえず炒めるのに飽きるまでひたすら炒めればいい。
「飽きるまで炒めろ」が難しいと思った読者各位は大事なことを忘れている。それはクミンの存在だ。
とりあえず玉ねぎにクミンをひたすらぶっかけろ。浪費でもいい。こんな段階で入れても味が飛ぶだろうとかもったいぶらなくていい。いいか、かけたな?
どうだ台所がインドに香りでいっぱいになっただろう。今からカレーを作る高揚感、わくわく、楽しみ、食欲、いろんなものがぐんぐんと湧き上がってきただろう。ただただ玉ねぎを炒めているだけなのだが、我々は今「カレーを極限までおいしくする」というステップを踏んでいることに気づくだろう。おいしいカレーを調理している我々はいま最強だ。誰にも邪魔することはできない。隣を見てみろ、鷹富士茄子もるるる~んとかぽぽぽぽーん!とかよくわからん歌を口ずさみながら調理しているだろう。鷹富士茄子の飛沫も大切な隠し味なのだ(情勢が情勢なのでここについての賛否は認める)。

さて、気が済むまで炒めたか? もっと炒めたらカレーが美味しくなったのではないかという後悔はないか?
オーケー、後悔がないなら次の作業に入ろう。今度は肉を入れて炒めるぞ。他の具材もまあ適当なタイミングで炒めていいんじゃないかな。今度は炒めすぎるなよ。肉は味が飛びやすい。クミンを適度に振ってやってインドを楽しみながら、しかし今度は節度を持って炒めてやるんだ。もう玉ねぎを炒めすぎて早くカレー食いたいって気持ちが勝っているだろう。しかし炒めすぎも炒めなさすぎもダメだ。ちゃんと肉が人間の食う色になったのを確認したら、いよいよ煮込みの作業に入ろうじゃないか。

煮込みはカレーの命だ。煮込みすぎては具材の味が消える。かといって足りなければそれはそれで失われる味がある。私もまだ"この段階"の妙は研究中であるためなんとも言えない。
しかし我々には困ったときに参照する便利なものがある。そう、カレールーの箱を見るんだ。
なんとカレー販売の企業が作り方を書いているのだ! おお天使(タカモリエル)よ、救いはここにあったのか。
とりあえずカレー作りに迷ったらルーの箱のレシピに従うのだ。だいたい道を誤ることはない。

おっと茄子、そろそろカレールーを投入するのか?
ちょっと手を止めるんだ、いや間違えた火を止めるんだ。
カレールーを投入するときは一度火を止める。これはカレー道の基本中の基本だ。レシピにもそう書いてある。
カレールーはゆっくり溶かさなきゃいけない。火がついた、沸騰中の湯にぶち込んだら溶け切る前に固まってしまう。それではダマができてカレーのおいしさが半減されてしまう。
そうだ、ちょっと面倒だが火を止めしっかり、しっかりと溶かす。おいしいカレーをつくる大事なひと手間だからこれは惜しんではならん。アホみたいに玉ねぎ炒める時間をとっているんだ、これくらいの手間は惜しむな。いや、玉ねぎ炒める余裕がなくてもここの手間は惜しんではならん。

そうしてなんやかなんや煮込めばカレーは完成する。何も難しいことはない。特に凝ったこともしてないのに何か凝った料理をした気分になる。
なんか私のカレーの作り方を紹介しただけの記事になってしまったような気もするが、こうして鷹富士茄子が作ったカレーは最高においしいのでみんなも隣に鷹富士茄子がいるという設定でカレーを作ろうな!

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