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煮込む 著:伊藤 浅

どら焼きを食べていたらさすがに喉が乾いてきて、温かい紅茶でも飲もうと思って戸棚の抽き出しを開けたら前買ったスープカレーの素があったので、スープカレーを作ることにした。
じゃがいもがあったので一つ切って鍋に入れて、冷蔵庫に入っていたナス、ホウレンソウ、きのこ、ニラ、タマネギをいれて、冷凍庫に豚肉があったのでそのまま入れて、煮込んだ。

くつくつ煮えてきていい匂いがしたので、木の深いスプーンですくってスープを飲んだらうまかった。薬膳みたいな、スパイスの味がして体があったまる。
それでもうすこし煮込んだらうまかろうと思って、ぐつぐつ煮込んでいる間に、これを題材になにか小説でも書けないか考えてみた。
女の人がいて、誰かを待っている。誰かを待つのは僕の好きな場面で、よく小説につかう。いつも書いているからさすがに飽きるかと思うけれど、やはりいい場面なのでつかう。それで女の人は誰かのためにスープカレーを煮込んでいるのだけど、ふとそのグツグツ煮える鍋を見ているうちに遠い過去に誘われる。いや、やめておこう。そのパターンはこの間書いた。むしろ二人の遠い未来を想像するのだ。しかしそれだとなんだかあんまり「幸福」の絵になりすぎはしないだろうか、もちろん幸福でもいいのだけど。それならその女の人も小説家という設定で、やはり次にどんな小説を書くか練っている、それでいわゆる「小説内小説」が彼女の脳内で始まる――ややこしい。
それで女の人にはやっぱり誰かを待ってもらうことにして、まあ待っていれば自然といろいろなことを考えるだろうし、それをそのまま闇雲に描くの案外味があってワルくなかろう、と考えてスープがぐつぐつしているのを見ていると、やはり待つのは辛いものだな、どうしたって、待たせる側より待つ方が辛いに決まっている、そう改めて思って、いつまで煮込むかもしれないで鍋の前にいるのは温かくて幸福なのだけどさびしい、やはり鍋は、一人に限る、二人でやる鍋は幸福に過ぎて、わたしには抱えきれない、そう思って、もう一度、木の深いスプーンですくって、そっと、唇を近づけて、熱い、のだが口の中にいれると、ぴりぴり苦くて、味が濃くて、うまいので、もう一口、と顔を近づけてから、もう、やめておこう、はしたない、誰も見ていないのだから誰に遠慮する必要も無いのだけどそう思ってスプーンを置いて、腕を組んで、時間の過ぎるのを待つでもなく、つまりわたしは、誰を待っていたのであったか、あるいは初めから、一人で、スープカレーを、煮込んでいたのに過ぎなかったのに、小説を書こうとでも思って、勝手に、誰かを待っている気になって、その実、やって来る人もいないのに、独り相撲。恥ずかしく、あほらしく、空とぼけしてばかりの人生で、こうやって、黙って鍋一つ煮込むことすら出来ない自分が辛く、こうなったら早く来て欲しい、わたしの待っている人が来てくれれば全てが解決するのだから、待ち人が来ないのが、遅いのが、悪いのに違いない、と思って、まんじりともせずにぐつぐつ煮えるナスやホウレンソウを見つめて、あ、と気がついて、わたしはそもそもどうしてこんなものを、作っているのだろうと思ったときに、ちょうど良くウマそうになったので、僕は鍋の火を消した。

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