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洋子の話は信じるな。

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ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』要約

『複製技術時代の芸術作品』(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit、1935年)は、ドイツの哲学家、文芸批評家、社会批評家などで知られるヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin、1892年 - 1940年)が著した文化批評、エッセイである。この批評は序文と結びを含めた19の章で構成され、芸術作品の複製の歴史、伝統的な芸術作品と現代の作品の違い、写真と映画が社会の認識に与える

    • ル・ナン兄弟による室内画──構図と視線の分析

      はじめにル・ナン兄弟(Le Nain brothers)は、アントワーヌ・ル・ナン(Antoine Le Nain, 1599- 1648)、ルイ・ル・ナン(Louis Le Nain, 1593-1648)、マチュー・ル・ナン(Mathieu Le Nain, 1607-1677)の3兄弟のことである。17世紀フランスの画家であり、彼らの作風の類似性と、彼らが名字だけで作品に署名をしていたことから、一般的に総称してル・ナン兄弟と呼ばれ、特に農民の生活を描いた作品で知られてい

      • 中国・山水画の展開──南北朝時代から宋代

        はじめに 山水画が「山水」を描く独立した絵画形式として成立したのは、4世紀の東晋時代である。山水画がどのようなものであるかを東晋から南朝宋にかけての隠者である宗炳が論じており、これは後に『山水訣』で王維が説いた〈山水臥遊〉の精神を踏襲するものであった。南北朝時代を生きた顧愷之、宗炳、王微によって絵画における空間表現の方法がまとめ上げられ、大小遠近法の考え方や、山水が宿す神性を描く考え方がその後も中国山水画の基本とされる。それから山水画が大きく進展するのは8世紀の唐時代である。

        • 『コネティカットのひょこひょこおじさん』子どもから大人への移行──niceの喪失

          序論本稿は、J・D・サリンジャーによる短編小説「コネティカットのひょこひょこおじさん」(Uncle Wiggily in Connecticut, The Newyorker, 1948)を取り上げる。 この短編において、「nice」という言葉はEloiseとWaltに限って使用されている。Eloiseは、なぜ過去の自身を「nice girl」と形容したのか。彼女が過去の自分とかつての恋人であったWaltを指して使用した「nice」という言葉が意味したものは何か。 本稿では、

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        ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』要約

        • ル・ナン兄弟による室内画──構図と視線の分析

        • 中国・山水画の展開──南北朝時代から宋代

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          ルターとカルヴァンの教会と政治との関わり方の差異──「二つの世界」の捉え方からの考察

           ドイツでの宗教改革を指導したマルティン・ルター(1483-1546)とスイスのジュネーブでの改革指導者であったジャン・カルヴァン(1509-1564)は、何よりもキリストの言葉への回帰を重視した。しかし、彼らについて書かれたテクストには、彼らの世俗権力への態度にいくらかの違いがあるという指摘が散見される。この違いは彼らの思想・教義の何によってもたらされたのだろうか。  まず彼らの教会と社会との関わりについて共通する点を確認しよう。それは「神による二つの世界の統治」の考え方

          ルターとカルヴァンの教会と政治との関わり方の差異──「二つの世界」の捉え方からの考察

          モナ・ハトゥム《はらわたのカーペット》

          本稿で取り上げる作品(https://fabricworkshopandmuseum.org/collections/entrails-carpet/) はじめに モナ・ハトゥムは、ロンドンを拠点とするパレスチナ人アーティストである。その作品はしばしばビデオやパフォーマンスを通じて国家的、政治的、心理的アイデンティティを探求する。彼女の作品は、人体の断片を使用することで、視覚的およびテクスチャ的な結びつきから鑑賞者に対して強烈な感情的体験を提供する。作品を通じて、ハトゥム

          モナ・ハトゥム《はらわたのカーペット》

          『オルラ』ジャンル分析──トドロフの幻想文学理論から

          はじめに『オルラ』Le Horla(1886)とは、ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant, 1850-1893)による1886年10月26日、日刊紙『ジル・ブラース』Gil Blasに掲載された短編小説である。モーパッサンは1887年に第二版として同題の中編小説を書いているが、本論では初稿である1886年版を取り上げ、フランスの詩学研究者、物語論者、ジャンル理論家であるツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov

          『オルラ』ジャンル分析──トドロフの幻想文学理論から

          シーモア・グラースの自死について──シビルとの鏡の関係

          J. D. Salinger, A Perfect Day for Bananafish, "Nine Stories", Little, Brown and Company, 1953.(邦訳版では、野崎孝(1974年)、中川敏(1977年)、柴田元幸(2009年)による邦訳がある。)  A Perfect Day for Bananafishの主人公が自死した理由について、自死する前のthe young man(以降、the young manはSeymourとする)と

          シーモア・グラースの自死について──シビルとの鏡の関係

          J・ロックの「労働概念」の新しさは、どのようなところにあったか──ホッブズとの比較

           J・ロック(1632-1704)は、旧来の「労働概念」を転換させた人物であり、この労働観は近代社会を形成するうえで現在でも基礎をなしている。ロック以前に労働がどのように捉えられていたのか、ロックの唱えた「労働概念」はどのような点で新しかったのか。彼が連なる系譜の先にいるホッブズ(1588-1679)と比較しながら見ていく。  先に述べておくと、ロックの「労働概念」の革新的な性質とは、労働という行為それ自体が物に価値を付与することに注目したことにある。創造主である神と被造物

          J・ロックの「労働概念」の新しさは、どのようなところにあったか──ホッブズとの比較

          詩の内容と形式──Fern Hillから

          内容と形式は定義上区別されるが、詩において時にこれらは互いに干渉し、形成しあうことがある。Dylan ThomasのFern Hillはこの好例である。 この詩では、語り手の自由であった幼少期の記憶が描かれるのだが、読者は「自由」という内容を受け取ると同時に、不自由な印象を作品から受けるだろう。実際、最後の行に語り手が鎖に繋がれている表現があるが、それまでに形式がこの不自由さの表現に貢献しているのである。 この詩は6つの9行スタンザで構成され、詩の全体が回想のように語られる

          詩の内容と形式──Fern Hillから

          詩における語りの手法──The Road Not Takenから

          詩は語りの手法によって、詩が読者にどう読まれるか操作することができる。 Robert FrostのThe Road Not Takenを語り手から分析してみると、詩は一人称視点で語られており、「あの朝」に実際「黄色い森」で岐路に立っていたのか(それとも比喩であるか、)語り手自身の年齢、性別等が不明のままにされていることがわかる。 不明性で言えば、語り手が「黄色い森」にいたのは昨日や一昨日のことなのか、それとも幼少期なのか青年期であったかも不明とされる。この不明性は、語り手が自

          詩における語りの手法──The Road Not Takenから