平成の思い出

私は昭和後半の生まれで、小学校に上がる前に平成に変わった。私が当時住んでいたところは、車がないと生活が出来ないような田舎で、盆地なので夏と冬が厳しく、田んぼとパチンコ屋と町工場しかない、特にこれといった観光地もない場所だった。

令和になり、平成を振り返って最初に思い出すのが今は潰れてマンションになったショッピングセンターの事だ。

昭和が終わる時、TVでの崩御の事はあまり覚えておらず、このショッピングセンターへ行くと黒い日章旗が掲げられ、お通夜のような有線が流れていたのが強烈に記憶に残っている。だから元号の節目というのは、そういうものなのだと思っていたので、今回のお祭り騒ぎに戸惑っている。

生まれた時〜中学生くらいまでそのショッピングセンターがあって、他に遊びに行くところも娯楽も無かった(両親は週末に遊園地へ連れて行くような育児に積極的な親では無く自分達の行きたい所しか行かなかった)し小学生の自分にとって文化の要みたいなところがあった、学校、家、ショッピングセンターみたいな当時の世界の全てだったのではないかと思う。

一階は店の外にみたらし団子とアルミに包まれたお好み焼きの店舗があった。
一階の入り口に入るとすぐ右手にお肉屋さんがあって、パン屋さん、写真現像屋さん、クリー二ング屋さん、お花屋さん、お惣菜屋さん、奥に生鮮食品のショッピングセンター
2階へ登りだけのエスカレーターがあって衣料品屋さん、靴屋さん、おもちゃ屋さん、本と文房具屋さんがあった。

各店舗に一つずつくらいエピソードがあり、例えば文房具屋さんで「エスパークス」(分かる人だけ分かってください)のノートを買って学校に持って行って先生に漫画だからダメ!と言われて持ち込み禁止になった苦い思い出とか。肉屋のコロッケが美味しかったとか、母親は自分が食べたいのでみたらし団子をついでに買ってくれたりだとか、パン屋の孫が「まんままんま」とものすごい勢いで叫んでびっくりした事とか、靴屋で走り回って遊んでた子供達を誰も咎めずニコニコ見てた店主のおじさんとか、ショッピングセンターの催しがあり、所属してた鼓笛隊の演奏発表をしてめちゃくちゃ緊張した事とか、なんだか色々思い出して、別に誰がと共有したい訳じゃ無いのだけど、なんだかもったいなくて書いておこうとnoteを登録した。

閉店間際は全ての小売店舗が撤退してしまい、ショッピングセンターだけになってしまった。

最後に自分の遠足の弁当の材料を買いにガランとしたお店へ行って、期限切れの安い鳥か豚のひき肉を一人だけポツンと立ってた若いレジのお姉さんに持って行って買い、家に帰って母親からあんなとこで買うなんて!と咎められながら作ったハンバーグがイワシツミレみたいな味がしたのを覚えている。

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