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27歳の夏やすみ

お盆休みも終盤に差し掛かってきたので日記的なものをば。

こんな事態に世の中がなっていて大っぴらに言えたことではないが、去年のお盆、年末は人と会うのを我慢したので今年はお忍びで多々人と会った。
いいか悪いかで言えば悪いことだが、もう自己判断な世界であると思っている。もちろん悪いことだが。

さて、長いようで短い休みの中でいつも会う人から10年ぶり位に会う人とも会った。

そいつからは太った?と言われた。
そうだ、高校生のときから10kgも太ったんだ、それは太ったように見えるだろうね。

去年のいつぞやかに書いたnoteで『他人の小説の中では自分は脇役』みたいな話を書いた。

割とここは意識していつも生きているのだが、上手く立ち回れずにいることが多く一人で反省したりする。

せっかく遊んでくれてるのだから、その人が楽しかったと言えるようにしたいというか、つまらないと思われたくないというか。

ただそれが裏目に出てるなぁーというか、そんな事考えても意味ないので自分は自分らしくその時その時を全力で楽しむのが答えである!みたいな結論を実は知っていたりもする。

自分の小説のなかで、自分は主人公、その他の友人は脇役者。
それは皆の中でも同じだ。

ただ、エンドロールに僕の名前が出てくる友人は何人いるのだろうか?と思うと少し不安になったりもする。

もちろん普段からそんな事いつも考えてるわけではないけども、たまに思う。

漫画とかで、巻頭に主要キャラクター紹介みたいなのがあるじゃないですか。ワンピースなんかはその島その島で主要キャラクターは変わるから10巻前と後では全然載ってるキャラは変わるみたいなね。

それでいうと、10年前と今では僕のキャラクター相関図は大分変わったなと感じた。

逆に10年前から変わらず小さく載ってる人もいる。
今はメインコミュニティが仕事場であり、10年前はクラスの人なんかが大きい絵で紹介されているけど、右上とかにいつもいるやつみたいなね。シャンクスかな。

今は学生時代の友人たちと毎度似たようなメンツながら遊んだりもして、書き換えられた相関図の左ページの修正が必要なくなってきた。

そんな皆のなかのキャラクター紹介ページに自分は今載っているのか、はたまた過去キャラになってるのか、気になるような気にならないような。

ただ、その巻に登場する以上個性的なキャラでいた方がその人の漫画(人生)は楽しいと思うし、つまらんキャラがいたら申し訳ないなと思うので、やっぱ全力で自分をやりきるのが正解なんやろな。

と思ったりするけど遊んでるときなんかはそんな事考えてないから自分はできてるのかもしれないな。知らんけども。

エンドロールに君の名前探すだろう。

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