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不幸なラッキーガール

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私は数年前まで、自分は何かとついてないと思ってました。小さい頃から目が悪くて、小2の時クラスで私だけが眼鏡ユーザーだったことも運が悪すぎると思ったし、給食を食べる速さも毎日ビリっけつで、自分だけみんなと同じように食べれないのが悲しくて。完食できるまで席を立たせてもらえずに掃除の時間もずっとパクパクしてました。眼鏡は案の定みんなに笑われたし、1日に3回もある食事イベントは毎回苦痛の時間だし。なんで自分だけこんなについてないのかなぁって思いながら歩いてたらクラスメイトとぶつかって物を壊したり。

そんな学校一のアンラッキーガールはそのまま中学生になり、バイオリニストを目指して毎日練習していました。中学校は部活に入部するのが原則だったけど、楽器を練習しなければいけないので書類を書いて帰宅を認めてもらいました。でも早速、放課後に運動部員で溢れる校庭を通って自分だけ家に帰るのが悲しくなり、毎日の帰りの時間が苦痛になりました。それに、みんな同じ部活の人同士で仲良くなっていたので帰宅部の自分に友達はほとんどいませんでした。
でもいつも一人ぼっちでいる陰キャなのがバレたくなかったし自分のシャイさも気に入らなかったので、教室では見栄を張ってクラスメイトと大声で騒いだりわざと先生にタメ語で話しかけたりして、極悪ではないけど怒られること・目立つことをしようとしました。

こうして中途半端なことばかりして過ごした中学3年間も終わりに差し掛かり、いよいよ受験と対面します。

第一志望だった音高の入試。緊張もしたけれど、一つ一つの試験を冷静に乗り越えていきました。それは自分としてはとても意外でした。今まで私はコンクールで演奏するたびに死ぬほど緊張してミスを繰り返していたので、本番に弱くて本番が大っ嫌いな自分にあまり期待しないようにしていたからです。
自分の力を疑いながらも、結果的にピアノや筆記の試験も無事に突破して合格することができました。なんで合格できたのかはっきりとは分からなかったけど、きっと運が良かったのかもしれないと思いました。

数年間目標にしていた高校に合格したことをきっかけに、自分が今まで信じ込んできたものを少しずつ考え直すようになりました。そのうちの一つが「私は不幸者だ」という思い込みです。
10年近く抱えてきてすっかり硬くなったこの思い込みに大きなヒビを入れたのは、「小さいことだけどすごい奇跡」の体験でした。毎日欠かさず飲んでいた青汁を今日も飲もうと、コップに注いだ牛乳に青汁の粉をいつも通りドバッと入れると、それが見事なハート型になったんです。それも辛うじてハートに見えるようなものじゃなく、絵に描いたようなおしゃれで綺麗なハート型でした。私は早速それを写真に撮ってスマホのフォルダに入れました。フォルダ名はHeartsにしました。ハートの写真はまだ一つだけだったけど、複数形にしておきました。自分がどれだけ運のある人なのかを知るために、今後また「ラッキーハート」を見つけたら撮りためていこうと思いついたからです。これは我ながら良いアイディアだと思い、その日から毎日どこへ行くにも「ラッキーハート」を見つけるのが楽しみになりました。

しかしハートは思ったよりもはるかに多く日常に転がっていました。友達と食べに行ったラーメンのスープの油だったり、輪切りのネギだったり、道端の小石だったり。ついには毎日通っていたはずの通学路にある排水パイプの口が、見る角度によって見事なハート型に見えることも発見しました。
そして不思議なことに「ラッキーハート」集めを始めたと同時に、ナンバープレートが7777の車や1111円のレシートなど、ハート以外のラッキーな現象にもよく遭遇するようになりました。日常にこんなにもラッキーが溢れていたということを知って安心した私は、次第に「ラッキーハート」を見つけても気が向いた時しか写真に残さなくなりました。

探してみようと思った途端に大量に見つかったラッキー現象。しかもそれらは全て何気なく視線をやった先にいました。ハートやゾロ目たちがHeartsフォルダを作ったあの日から突然目の前に現れるようになったとはとても思えません。今までずっと目の前にあったのに見逃してきた「良いコト」はどれだけあるんだろう。私は今まで散々だと思ってきた小中学時代のことを思い返してみることにしました。

初めて眼鏡をかけた私を見てかわいいと言ってくれたクラスの子、頑張って描いた絵が作品展の代表作品に選ばれたこと、いつのまにか食べれるようになってお代わりまでするようになった給食。演劇クラブでやりたかったお姫様役をさせてもらったこと。バイオリンのことを話したら笑顔で応援してくれた中1の時の担任の先生、持久走のタイムが学年10位になってめちゃくちゃ嬉しかったこと。
なんだ、良いこといっぱいあったじゃん。
悲しいことももちろんあったけど、それと同じ数だけ、いやそれ以上の良い思い出がたくさん出てきました。

過去の私は必死になって自分が不幸な証拠を集めていただけだったこと、そして今の私が特別幸運な人間というわけでもないこと。悲しいことも嬉しいことも同じくらいあって、どっちの思い出も未来の自分の役に立っているということ。それに気づいてから、私はアンラッキーな日もラッキーな日も楽しめるようになりました。


本当はこの記事の最後に「人生はにわか雨でベチャベチャになった足元を見下ろして嘆くか、雨上がりの空を見上げて虹に喜ぶかだよ」みたいな偉そうなことを言いたかったんだけど、私の人生はいまのところ「ベチャベチャになった足元にうぇーってなりながら虹を見つけてハイテンションでTwitterに投稿する」って感じです!笑

ここまで読んでくださってありがとうございました🍀

それにしても、はやくフィドラーになりたい!!

🎻大谷 舞🎻

今までサポートしてくださった方、そして毎記事にしてくださってる方も…!本当にありがとうございます🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️ 演奏や作品でお返しできるように、もっともっと成長したいと思います。