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今日の思い込み [私の話は聞いてもらえない]

『私の話は聞いてもらえない』

この思い込みを持ってることに気づいたのが つい先週。

この思い込みを持つに至ったきっかけを思い出すと
決まってぶつかるのが小学3年生の学級会

私を加害者にした 反省(させたい)会が開かれたことがあった。

前後のフォローや下調べもなしに、
クラスのみんなの前でいきなりの公開処刑
さぁ、判決を下そうよ、みんなどう思う?(被害者寄り)

過不足なくそんな場だったと受け取っている。

今でも、当時の先生に一言でいいから言いたくて胸にしまってある言葉がある。

『私の存在にまで傷をつけるような言い方をしないでほしかった』


同級生から刺さる目線が痛く、居たたまれなくなった。
胸がぎゅーっと、なって、恐怖と緊張を覚えた あの学級会の空気感。


そこからの思い込み

『私の話は聞いてもらえない』

それからみんなの前で発表というような場面では決まって言葉につまるようになり
声を出すこと ましてや自分を出すことも 億劫になった。

そんな価値はない、そんな存在ではない
成り下がってしまった私。

それが私、そういうもんだ と
思い込みとすら思わないくらいナチュラルに
それは私の一部になっていった。

時はたち、そんな出来事も、感情も忘れて
この事を思い出したのが、
自分で染屋を立ち上げて、来てくれる方たちと関わるようになってから。

思うように言葉がでない、
本来あるべき自分との解離を感じる

それは表しがたい、モヤモヤとした違和感として私にまとわりついた。

分離感 疎外感 

そんな感覚が当てはまる
目の前の人に対する言いようもない境界線

そんな現実にぶち当たって初めて過去を掘っていって、
この記憶に行き着いた。



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『私の話は聞いてもらえない』

今はっきりと意識的にこの思い込みを捉えたとき

私のすべきことは、『私の話をすること』
以上。

至極シンプルなのである。

伝わるかなの不安を越えるには、
伝えていくこと。
まとまってないけど、のもどかしさを越えるには、
まとまらずとも話し始めること。

私なんて、私の話なんて、の奥にきちんと芽生えている
私だって、私の話を聞いてよ、を外向きに発信すること

それが、小学3年生の私への報いであり
今の私へのはなむけだ。


そして 今日、話したよ私は。
思ったことを止めどなく、つまってもいい、伝わらなくたっていい、
わき上がったことを私の声にのせて届けるということに注力したよ。
あぁ、気持ちよかった。清々した。
これでいいと思えた。

この思い込みから来てた
止めて引っ込める 癖が
私の中の情熱や愛を止める栓になっていたんだ。

ポンッと、ワインのコルクを開けるように
ただただ止めずに 注ぐ。
こんなにシンプルなことにつまづきながら
戸惑って、自分を押し込めていた。


気づいたらもう、やるだけだ。


#思い込み
#恐さを越えるには恐いことをやっていく
#HAPPY理論
#解放


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